ゴンポ・タシの証言。
「女性たちは公衆の面前で素っ裸にされ、夫が罪を認めないと
彼女たちはその目の前で強かんされた。長い間男やもめで
過ごしていた中共兵に不服はなく、彼らは嬉々として強かんの命令に従った。
また夫たちは人びとの前で妻と性交するよう強制される場合もあり、
その後たいてい処刑された。そして妻や娘は中共兵に投げ与えられた。
尼僧もこの暴力から免れることはできなかった。裸にされた僧侶は、
これも素っ裸にされた尼僧と性交するよう強制され、中共軍は
これみよがしに、“これがチベット仏教とその純潔さだ”と嘲笑った。
その後僧侶たちの多くは処刑され、尼僧は中共兵の餌食にされた。
年に関係なくいたる所で女性は強かんされ、それも何度も犯され、
揚句殺されていった」
(マイケル・ダナム著『中国はいかにしてチベットを侵略したか』140頁)
■ペマ・ギャルポ氏の警告(2005年日本に帰化、桐蔭横浜大学法学部教授)
敬虔な仏教国チベットでは指導者である僧侶達が殺生を禁じ
「仏を拝んでいれば平和は保たれる」と主張し抵抗を禁じたがその結果チベットは地獄になってしまった。
中共軍が本格的に進入してきた時、チベット軍はすでに解体させられていた。
「インドに頼もう」とか「国連に訴えよう」とチベットは行動をおこしたがインドは動かなかった。
国際司法裁判所では「中国のチベット進攻は侵略である」と認定したが、それだけであった。
そして95%の僧院が破壊され、120万人のチベット人が虐殺された。
日本人に言いたい事は、自分でいくら平和宣言をしても他国を縛る事はできない。
泥棒を中に入れてから鍵をかけても遅いという事だ。
「チベット大虐殺」
・1959年の3月チベットの首都のラサで「改革解放」の名のもと「民族浄化」が開始、
殺戮・破壊・強奪・強姦が行われた。
・15万人の僧侶と尼僧は公開虐殺によって1400人に減らされた。
僧侶に対しては、滑車を使い仏像の重みによる絞首刑や、尼僧に対し警棒の形をした
5万ボルトのスタンガンを性器に入れて感電死させ彼女の死体は裸のまま路上に捨てられた。
・一般民衆の犠牲者は120万人におよぶ。中国は「強制断種(チベット男性の生殖機能を手術に
よって奪う事)」や「強制交種(チベット女性を中国男性と交わらせ民族の血統を絶つ事)」等
の民族浄化に力を入れた。
・生き残った証言者によると、親の死体の上で子供に泣きながらダンスをさせ、人民解放軍は
それを笑いながら銃殺した。
・「ジュネーブ法律家国際委員会」が受理した供述書によると
「何万というわが国民が殺された。軍事行動においてばかりでなく、個人的に、また故意に
殺されたのである。彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまでむち打たれたり、磔にされたり、
生きながら焼かれた。ある者は生き埋めにされたり、はらわたを取り除かれたりして殺された。
こうした殺人行為はいずれも公衆の面前でなされた。
犠牲者の同じ村人、友人たち、隣人たちは、それを見物するよう強いられた。」とある。
▼チベット尼僧が焼身自殺=中国支配に抗議
チベットにおける宗教・信仰の自由を訴え、20歳の尼僧らが相次ぎ焼身自殺を図り、死亡した。焼身自殺を図ったのは昨年以降、16人となった。
▼中共は「仏教を信じるチベットは野蛮」と勝手に決め付け、「解放する」と称し、1959年に侵略して120万人を大虐殺した。
大勢のチベット人は手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺された。女性たちは
繰り返し強姦されまくった。中国兵たちの取り囲む中で、僧と尼僧とは性交を強制された。拒否した僧は腕をたたき切られた。
中国兵はチベット人の死体の上で大小便をし、その上で踊った。
59年に労働改造所に収容された1万3千人のうち、4年後まで生き残ったのはわずか60人だった。食料はほとんど与えら
れず、人々は雑草・豚のえさ・ゴキブリを食べた。 出典:『中国はいかにしてチベットを侵略したか』 講談社 マイケル・ダナム
『中国はいかにチベットを侵略したか』 マイケル ダナム著
妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。
拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。大勢のチベット人は、手足を切断され、
首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていった。さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び
上がって見せろ」と嘲られ、挙句に全員射殺された。おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれた。