
作家で脚本家の大宮エリーさん死去 49歳 病気のため…映画監督や画家など幅広く活躍
作家や脚本家などで活躍した大宮エリーさんの公式サイトが27日に更新され、病気のため死去したと発表した。49歳だった。
株式会社大宮エリー事務所が「関係者各位、ファンの皆様へ 大宮エリーに関するご報告」と題した文章をアップ。「大宮エリーを応援してくださった全ての皆様にご報告申し上げます。大宮エリー(享年49)が、2025年4月23日、病気のため逝去いたしました」と報告した。
これまでの活躍について「大宮エリーは、画家・作家・脚本家・ラジオパーソナリティ・映画監督等幅広いジャンルで活動し、近年は画家として精力的に活動し、その才能と想いは多くの方々に感動を与えてまいりました」と振り返る。「誠に心痛む思いで、その訃報をここに謹んでお知らせいたします」とした。
そして「皆様におかれましては、これまで大宮エリーを温かく見守ってくださいましたこと心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございます」と感謝した。葬儀と告別式は遺族の意向にそって親族、近親者のみで執り行ったと明かした。お別れの会等の開催は現在のところ未定。
大宮さんは、映画監督、脚本家、演出家、放送作家、CMディレクター、ラジオDJ、コピーライター、画家とさまざまな肩書で活躍。今年2月に対談集「東大ふたり同窓会」(朝日新聞出版)を発売したばかりだった。
東大薬学部卒業後、電通に入社。同社勤務中にNHK「サラリーマンNEO」の脚本などを手掛け、映画「海でのはなし。」で監督デビューを果たすなど、多才で知られた。06年に電通を退社した後は、個人事務所を立ち上げてフリーに。スピッツ、MISIAのミュージックビデオや舞台演出、ドラマ脚本などを手がけたほか、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」MCなど幅広く活躍した。
08年に初エッセー「生きるコント」(文芸春秋)を出版した際のスポーツ報知のインタビューでは「存在自体がコントと言われる」「いろんな事に巻き込まれてるんですよ。巻き込まれる才能があると言われます」などと波乱万丈な人生を告白。学生時代に訪れたブラジルで、なぜかスラム街を1人で恐怖に震えながら黄色いビキニ姿で疾走する羽目になる、イグアスの滝ではアライグマの群れに襲われたなどの話を披露していた。
大宮さんのXによると、24年には京都市内の寺でふすま絵などの展覧会を開き、同年12月には「個展が終わりました。なんとかやりきりました。あまり体調も万全では無かったので、不安がありましたが、襖絵を24枚、朝日焼も20体近く、転じてきました」とポストしていた。今年に入っても書籍のほか、ANAの機内誌「翼の王国」でのエッセー、インスタライブの配信など精力的に活動していた。
https://hochi.news/articles/20250427-OHT1T51002.html
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