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奴隷道徳や奴隷の宗教だよ
人間は家畜や奴隷ではないのだからそんな物に騙されてはならない
仏教が来るまでは祟りとか恐れてたんだよ
仏教のお陰で殺しまくれるようになった
>>8
逆
殆どの人間が煩悩の奴隷や家畜だから
仏教は他の宗教とは全然違う どの宗教も教祖の教えを弟子が勝手に改変してるの見て
俺の宗教は手を加えるの禁止な!と決めたオッサンもいたな
なお無事改変された模様
いやぶゅきょうの言行録だけが仏典ということではないので
れんちょん気付いてしまったか
けど念仏唱えるだけで極楽に行ける方が楽だよ
法顕や玄奘や義浄はインドまで教えを求めて行ったのに、なんで日本人は中国までどまりなの?
もっと本気出せよ
一から十まで「私の教えはこうだ!」と
自分で書いたのは孫子だけ
>>1
ほんとそれ
なんで仏教と名乗ってるのかわからんくらい変質してる 教祖の教えとかけ離れてるのが駄目なら教祖が現役の幸福の科学の方が優れてるってことでええのんな?
仏教は本来仏陀とは一切関係ない宗教だし
仏陀は発見しただけでその原理は仏陀以前から存在している
実際、ゆがんだ仏教は差別と格差しか産まないと思うよ。
穢多非人は前世で悪いことをしたからそういう身分なんだって差別されてたし
チベットの家畜以下の生活を強いられていた農奴も輪廻転生思想にしばられて
逃げ出す事が出来なかったって日本人で初めてチベットを訪れた人の記録に書いてある。
そもそもカルトだって既存の宗教改変してツギハギして自分に都合よく改竄しただけ
日本には飛鳥時代に仏教伝来して大ブームになったんだけど
日本ローカルの宗教である神道は信者が減る苦しい立場になった
そこで仏教最高位の大日如来と天皇のご先祖であるアマテラスは
同一存在である という設定にした
もちろんそんな話は外国にはない
仏教自体がアーユルヴェーダの偽典だしなぁ
まぁそれ言い出すと宗教自体誰かが考えた作り話でしか無いで終わっちまうわけで
他宗教を否定する宗派って結果宗教自体を否定してる自己矛盾を抱えてるよな
>>37
元々は輪廻転生を否定するために作った理屈と思うんな
でもヒンドゥー教に汚染されてそれを世界にばらまいてるん 別に誰が言おうが誰が書こうが書いてあることが良いなら問題なし
>>41
仏教すげー革新的みたいに言われるけど
根幹部分の元ネタはけっこうそのへんから引いてきてるよねw しかし釈迦も勝手なもんだよな。
僧院で働きもせず喜捨で食ってる僧侶にアヒンサー(不殺生戒)の戒律を説いてるけど
生産者は農耕にせよ虫や鳥を殺さねばやっていけない。
欲についてもそうだ。
人は子を産んで育てる本能を持っていて、そのおかげで社会がなりたっているのに
その営みの上にあぐらをかいておきながら
愛欲は業を背負うだけだと説く。
俺霊感あるけど、キリスト教の方が何故か効くよ
仏教関係はちょっとバカにされてる感じ
なぜかは本当分からん
アーユルヴェーダはインド医学のこと
何か勘違いしておられるのでは
アーユルヴェーダって目にオリーブオイルを注ぐ儀式だと思ってた
そうなんだが、日本には空海、最澄、道元、法然、親鸞、日蓮がいるのでOKです
>>41
適当言うな アーユルヴェーダなんて漢方の本じゃん 大乗仏教は中国で景況(キリスト教ネストリウス派)の影響を受け、祈る、救済を求める要素が仏教に統合された
>>37
その縛りから解脱するのが仏教じゃないか
輪廻転生の実在論に縛られたらそれはもうヒンズーやバラモンになる >>48
効くって感応が有るってことか?
自分のレベルに近い方に意識が向くだけじゃないのか >>53
これありがちだけど500年位差がある坊さんを混ぜるのはいかがなものか
今からしたら中世の魔術を復刻させるようなもんだろ サンスクリット語を翻訳した奴が間違えてたらどうするんだよって常々思ってる
鳩摩羅什「なんやこれ…だらだら長過ぎやろ…せや!ところどころ端折ったろ!」
実質鳩摩羅什教
>>59
えっと……バキで伝統武道より花山の方が恐れられてる感じ
お経を唱えてもクスクスwって意に介さない。ミカエルとか十字架とかキリスト教ぽいこと考えたり翳したりするだけでそう、感応?嫌だなーみたいな反応 御釈迦様は生前 自分の言葉を残せとは言わなかった
万事抜かりの無かった仏陀が指示しなかったという事は
経だけでは意味が無いというのはある意味正しいと言える
本物は大体普通に自分の生活してて表に出てこないだけで
仏教自体はいいものだぞ
>>58
>>67
シッダルタがどう考えたかなんて分からんのだよ。
大乗は伝聞だし、南伝はブッダゴーザが自分の解釈で書き換えているから。
仏教の歴史において差別の温床になったという事実だけがある。 合理的なこと言ってんなーって感心してるだけで
信じるってレベルにまでは達してないだろ
そもそも全てが移ろい変わるって仏陀が言ってるわけだしな
シャカの言葉そのまんまじゃないとダメだ!とかいう事自体おかしいわけよ
瀬戸内寂聴とか我執と煩悩の塊みたいな感じだったし
仏教って適当だよなあ
ブッダは伝え聞くところによるとすごい高潔だし神聖視されるの分かるんだけど現代の日本の守銭奴坊主見たらその教えは全く受け継がれてないんだなって虚しい気持ちになる
>>3
実は一部はそうだったりする
パーリ語仏典や南伝大蔵経なんかを一から翻訳していたのも日本ではオウムくらい お釈迦差を理解するにはまずインド哲学とバラモン教を勉強する必要がある
輪廻転生だってバラモン教の教えだ
バラモン教とお釈迦様の違いは
バラモン教はその対象をを「個」に求めたのに対して
お釈迦さまは「縁」に求めた
>>70
教義が煩雑かつ俺らのような俗世に生きる
人間に守れるものではない。
本来山林に篭って極めるもの。 >>27
玄奘から遅れること1000年以上経ってるけど河口慧海はチベット行った れんちょんは正気に戻ってしまって
あの頃のれんちょんはもういないんや
>>81
仏陀は苦行やめたからな
修行して修行してより高みに…
ってのはエゴが強化されるだけだぞ 苦と無常と無我
在家なら五戒守れ
ゴチャゴチャ考えてる暇があるなら瞑想しろ
以上
>>84
釈迦は出家至上主義を取ってるが?
あと出家と苦行は別もんだぞ 原理主義者の崇め奉る初期仏典すら釈迦の教えそのままかどうかは怪しい
"釈迦の本当の教え"など幻想に等しい
まあ自己に呑み込まれない為にエゴの強化も必要と言えば必要なんだろうが
要するに「空」なのである
その本体はそこにはない
扇風機が回っているのは扇風機の羽に回る装置が付いているからであって
扇風機が回しているのではない 動かしているのは電気だ
人間も同じで人間が考えて動くのはそういう仕組みになっているがそうさせて
いるのは扇風機と同じく宇宙のエネルギーだ
ぶっちゃけこれ言われたら史的にも大乗系って全部アウトだな
実際仏陀の思想と関係ないし
>>86
それは自分を追い込むためだな
別に出家しなくとも信仰するしかないという所まで追い込まれることは多々ある 釈迦が出家したのは悟るため
しかし苦行では悟れなかった
真言宗の「南無大師遍照金剛」て凄いよな
釈迦じゃなくて大師(空海)を拝んでるんだろ?
キリストじゃなく文鮮明を拝むのとなにが違うん?
>>5
イエスキリストの高層イッサ説ね
イエスキリストはユダヤの地を離れ釈迦に師事し、再びユダヤの地に帰った >>90
そもそも仏陀は自分一人の悟りで終わらず布教したからな
その意味で大乗は別に否定されないと思うよ >>90
お釈迦様の言った言葉を弟子のアーナンダが伝えて(当時は文字がないから)
あとから弟子によって編纂されてる >>91
いくら信心深くても天才でもない限り正しい師に付いて正しい方法を取らないと悟りを得ることは難しい、ってのが出家の意味だと思うけど。 王族かつ酒池肉林を知ってる釈迦でこそ意味があるわけで
庶民には何の助けにもならないゴミ宗教
手塚治虫の火の鳥読んで仏教的だなと思ったのは苦難のハテに悟りの境地に立った我王が転生してすっかり元の人間の業をたっぷり背負ったハナデカおじさんに戻ってしまった事
せいぜいマウンドフルネスして明日も元気に働こうってなもんだよね
マジでポンコツ宗教
資本主義の前に手も足も出ない
どうも縁起の教えはもともとはなかったようだね スッタニパータの古層と見られる部分にはそれらしいことは述べられてないから
>>97
熊と出会ったウサギは必死に逃げるからな
確かに師や正しい方法は大事だが
必死さもまた大切だよ 仏陀が言った言葉なら真理か?
教えにより救われるかどうかが重要だろ
サラリーマン川柳からだって悟ることはできる
千日回峰行とかありがたがってるけど、あれば苦行そのものだし失敗したら自殺しないといけないという時点で反仏教だよな
なんでオマエの解釈1個で仏教徒が全員やめないといけないの?
これがお釈迦様の言われたお経
>>89
西洋哲学でいうカテゴリーエラー(錯誤)だよ、それは。
現象として脳内でおきている事象を空と名付ける事と
内観として自覚するエゴを同列に語る事は出来ない。 >>104
スケールが違う
宇宙自体を生命ととらえたのがブッダだから
だから人間が生きているのも必然だし死ぬのも必然 いやそもそも釈迦自身が解脱に至るメソッドを
あまり説明してないんだから正解など今更わからんよ
浄土真宗でも真実は「空」だと説いている
それが物理学者の超ひも理論いよって証明された
一切関係なくはないんじゃね仏って概念?発見したのは釈迦じゃね
>>101
その資本主義も大乗的な相互依存因果に縛られて先が読めなくなってしまっているけどね >>72
差別は人類史に遍在してるわけだが?
仏教も例外ではないというだけだろう
凡俗が学ぶのだから 人間は生きているものだけに魂があると思っている
しかし針供養や包丁など使えなくなったものを供養する
ブッダは宇宙全体が生命で(人間も虫も星も石も)運命が決まっているという
太陽の周りをまわる惑星 銀河 それらの星も未来が決まっているのである
そりゃセックスしまくって遊びまくってから悟り開くんだから信者も真似したいよね
-----------
935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭い離れたその衝撃を宣べよう。
936 水の少ないところにいる魚のように、人々が慄えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。
937 世界はどこでも堅実ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。
938 (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜んでいるのを見た
「本来の仏教は〜」とか「お釈迦様直説は〜」とか
そういう考え方が出るのはまあ分かるが
これはキリスト教とかの信仰による啓典宗教と仏教を同一視する見方
または唯物論的に文献学的に方法で仏教をとらえようとする見方によってる
(大乗非仏説の富永仲基はこの方向)
>>119
釈迦は何度も生まれて死んでる
永遠の命だから >>118
その考え方もまた本当は色ではなく空であるよ ヒンズーの基本から言えば
「何を学ぶか」ではなく「誰から学ぶか」が重要だから
実際に釈迦から聞かないと加護が無いんだよ
なんか20年前くらいに創価信者の間で流行ってた仏教宇宙論を展開してるのがいてちょっと笑えるな
極楽と地獄があって、最高神が存在して、という世界の宗教のテンプレートに仏教キャラを当て嵌めただけだからなあ
拝むキャラが違うだけで他の宗教と中身は変わらない
仏教を信仰する目的は涅槃に到ることなんだから修行をしようが念仏を唱えようがそれで本当に涅槃に行き着くならどんな道筋でもいいと思うけどね
薬師如来でも大日如来でも観音菩薩でも好きなもん拝んどきゃいいよ
>>117
詭弁だね。ほんとうにろくでもない。
まるで農民や被差別民から絞り上げた税金で食ってるくせして
出家すれば救われると信じていた平安貴族の様だ。 >>125
釈迦が死ぬときにこういった
「私の墓には意味がない 私の言った言葉の中に私は生き続けている」 >>128
それを作ったのはバラモン教
お釈迦さまはバラモン教と違う解釈をした >>127
これは手塚治虫の「ブッダ」に描かれている >>132
それで仏弟子が編纂したんだろう
でも経典理解して解脱なんてできんからね
あくまで参考資料でしかないし
御釈迦様から灌頂受けないと仏教徒ではないよ 釈迦本人が言ったと確認が取れているものと
後世の連中が勝手に「釈尊が仰ったこと」というのが混ざっている、ってことかな
どちらも仏典として崇められている状態が今なのかな?
>>134
創価の出版社が出してた漫画雑誌に連載されてたんだったかな 何で仏教少し齧った奴って揃いも揃って初期仏教原理主義化して
大乗仏教特に浄土信仰系の宗派攻撃し出すの?
>>136
それはすでに分かっている
どれが後から付け加えられたかとか >>129
当時は色んな芸能人とテレビで対談してたのに全員いきなり無かったことにして逃げたの爆笑だわ 原始仏教とかがこの考え方から支持されたりするが
これは色々問題が生じるってか、この見方では決して「解脱」とは何かが分からんし当然こういう教えからも成道した仏は出ない
原始仏教ってのは、植民地のスリランカのパーリ語経典を「発見」した当時のイギリス人学者たちによって研究されたものってのが
それがどういうものなのか察しがつくと思う
(つまり、キリスト教プロテスタントと唯物論的な文献学の方法に影響を受けているものってこと)
浄土宗なんて阿弥陀如来とかいう
ブッダと何の関係もないものを
信仰するわけのわからん宗教だぞ
菊と刀を書いたルース・ベネディクトもボロクソ言ってた
>>138
そりゃ釈迦はナンマイダーって言えば極楽浄土に転生してアミダ仏の教えを聞いて成仏できるよ!
なんて言ってる奴見るとこいつアホなんじゃね?って思えるぐらい浅学者でも仏教じゃないって分かるからな >>138
生兵法は怪我の元って奴だね
お前エゴが強化されて傲慢になっているぞって優しく教えてあげたらいい >>139
そんなわけないだろ
じゃあ 仏陀が来臨する意味が無いじゃん >>146
草
そうだよな
本だけ置いときゃ建物すら要らんわ お釈迦様が入滅する際に、お釈迦様に依ろうとした弟子たちに示した「自灯明・法灯明」って言葉
これはお釈迦様にも頼ってはいけないんだよってこと(つまり諸法無我)
「お釈迦様」ってのも本来いない、認められない人なんだから
>>134
漫画で観念を固定化するのはまずいって朝生で麻原が言ってただろうが むしろ仏陀一人の教えであったら、価値のないものであったろう。弟子たちや後世の者たちの教えが集められているから、価値がある。
>>139
ブッダが行った五十二位の修行を行わないと
解脱できないとブッダは言ってる
これは結構厳しい修行でブッダ以外で成し遂げた
人はいない、達磨大師という中国人でも三十四位
くらいまでしか終わらせられなかった、と言ってます 地獄も極楽もないし輪廻もないし自分の好きなように生きて好きなように死んだらいいんだろ?
まるで誘蛾灯に集まる夏の虫みたいにワラワラガイジがレスしてきてるのが本当に失笑もの
人の魂は死後に輪廻転生する←へぇー
でもお盆になると祖先の霊が帰ってくる←は?
日本の仏教ってマジで原始仏教とはなんの関係もないしな
そういえば末法って大体西暦1,500年くらいなんだよね
丁度日本の仏教勢力が大名化して信徒を使って戦争に動員してた時期
ちょうど大竹晋『大乗非仏説をこえて』を読んでいた
批判もあるようだが素人なりに方向性は正しいと思った
>>154
その通り
別に宗教なんかやらなくたっていい
宗教やればよく分かるぞw >>156
> 人の魂は死後に輪廻転生する←へぇー
小乗仏教という仏教の話
> でもお盆になると祖先の霊が帰ってくる←は?
大乗仏教という仏教の話
カトリックとプロテスタントとロシア正教とイギリス清教
くらいの違いがある 禅宗には「以心伝心」って言葉がある
心とは仏心・法のこと
心が心を伝えてきた、法が法を伝えてきた
お釈迦様から二祖摩訶迦葉に、摩訶迦葉から三祖阿難に仏法が伝わったと
人から人に時間と空間を経て実体的に伝わったと
唯物論的には見てしまうけどそうじゃない
お釈迦様がお釈迦様に伝えてきた
(諸行無常・諸法無我とは何かを考えると何となく察せられるかもしれない)
だから間違えようがないということ
戦後の新興宗教ブームの本を読んだんですけど、教祖っていうのはだいたい元は普通のおじおばがある日突然なるもんで
つまり伝統仏教のお経、教えはおそらく全く必要が無い
仏陀はありがたい仏陀の教えで仏陀になったのではない
親鸞
「一般人は農業や仕事で忙しいんだから写経も無理っしょ、念仏言えたら良くね?」
↓
「いやもう南無阿弥陀仏だけ言えたら良くね?」
↓
「それも許さんってお前の仏はそんな心狭いの?さては仏アンチ?」
という大乗らしい拡散力は凄まじいエネルギーだよな
キモイと思われるかもしれないけど、般若心経を暗記したりカトリックのラテン語を暗記したりした
何だか知らんが救いを求め続けているんだと自覚した
>>162
なんかところどころ間違ってるみたいだけどわざとやってる? マウリヤ朝の衰退とともに原始仏教がインドで廃れ
阿弥陀経とかいうゾロアスター教紛いの
パチモンが中国に渡りそっちのほうが国外ではメジャーになった
>>158
こういったら何だが
むしろ大乗に過剰なアレルギーを抱く方がよっぽど問題だからな
自分だけ幸せになればそれでいいの?
悟ったとか言ってるけどそれってエゴじゃないの?
仏陀だって菩薩かなんかに諭されてエゴを捨てて衆生を救う為に仏教普及したよ?
って言いたくなるよね 大乗仏教の極楽地獄の概念はゾロアスター教の影響を受けてるよな
元は無限に輪廻転生繰り返して苦しむからどうにかするという設定だったはずなのに
物理学も宗教も宇宙を解き明かした
やり方は違っても人間の考えることは同じなんだな
傲慢な言い方になるかもしれんが
>>162これは現代のほとんどの仏教者も分かっていないことだと思う
なぜなら、今仏教を学ぶ人はみな
西洋の「近代」という物質的科学的世界観を経た学術的方法に影響を受けてるから
>>162みたいなことを言うのは禅宗の一部の人だけだろう >>174
自分と考えの違うものを一方的に「間違ってる」とマウントして無効化しようとする人って
宗教や哲学スレには多いように思う
あなたがそうでなければ良いが、そうならもう少し真面目になって欲しい >>162
摩訶迦葉も天才だからなぁ。
俺ら俗物にはバリバリ欲にまみれた資本主義で生きる動機を与えてくれる儒教やアブラハム宗教の方が合ってんのよ。 >>166
いつか救われるよ絶対
一心に救いを求める心こそが大事
いつか心の中の神か仏に届いて応えてくれるはず キリスト教の経典は全部キリストが作ったとでも思ってるの?
後世の人間がでっちあげた可能性だってあるよね
>>176
阿弥陀如来=アフラ・マズダ
原始仏教よりもゾロアスターの教義のほうが民衆の信仰を集めやすかったのだろう >>181
お前は禅宗ベースなの?だとしたら嫌儲のニワカ仏教スレだと貴重だからもっと好きにレスしていってくれ 「真面目」ってもともと仏教用語で
「父母未生以前の本来の面目」なんて言われる
つまり真如、阿耨多羅三藐三菩提のこと
真面目、よこしまなく真っ直ぐでないと
仏教の悟りを語ることは難しくなるってこと
キリスト教と仏教がゾロアスター教を通じて
密接なつながりを持ってるというのは興味深いよな
>>164
ルース・ベネディクト
「念仏唱えないと成仏できないって外人差別?あたしゃ漢字読めないよ?」
↓
「しかも念仏唱えられる生物って人間だけじゃん。馬や牛は畜生だから成仏できないの?」
↓
「馬や牛は人間の役に立ってて手助けしてんのになんで成仏できないの?」
↓
「生前にどんな悪い行いしても念仏唱えれば成仏できるとか誰がそんなバカみたいな宗教作ったの?」
アメリカ人に論破されるジャップwwwwww >>183
救われず「はず」ってのは一神教の世界観。
もしくは日蓮宗とか浄土系。 >>185
ぶっちゃけ原始仏教ってエリートしか信仰しようがないしそもそも現代人がよくイメージする宗教とかけ離れていると思うわ
学も教養もない連中が悟りだの解脱だのに興味が湧くとは思えないし
それよりも地獄を恐れさせて極楽を生きる目標にさせ仏教に縋らせる方が庶民に効くわな よく昔話やらおとぎ話やらで仏様がなんか人智を超えた力を持つ神様みたいに描かれたりするけど、仏って要は「悟りを開いた人」って意味だろ?
なんでそんなパワー持ってんだ?
解脱のメソッドとかも
龍樹の中論には「不生不滅」だけで実は十分とも語られてたと思う
八不中道のうちの最初の二つ、残り六つ(つまりその他の膨大な教えも含む)は
それでは至れない機根の劣った者のための付け足しらしい
>>190
役に立つかどうかや生産性をフォーカスするのは人間性の崩壊だよ、浅い
それはもう承認欲求並みの現代の心の闇だよ >>194
そりゃ樹の下で座禅してるだけで現代量子論と同じ叡智を得られるぐらい凄かったんだから愚かな大衆が想像できるレベルの事ぐらい朝飯前ってもんよ
漢字で書くと神通力って言うんだぜ >>179
輪廻って下から上(佛)に向かうことを(六道)従因至果
上から下に向かうのが従果向因というんだって >>72
キリスト教も経典じゃ一応差別を否定してるのに差別のための道具になるのは悲しいなあ 人が認識してる一切は「不生不滅」
生じたものではないから滅しない
つまり認識できない
人として認識している全てを「無」としてやるだけ
「走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。」
スッタニパータにある通りだな
日本人が言うほど宗教のこと信じてるかなセレモニーのために利用してるだけじゃん
脳科学者の先生が言っていたが、人間には先天的に善悪を評価する部位があるらしい
量子力学とか専門書を読んだ事も無いけど、人の認知を通してしか現象は存在できないという人の限界
ひょっとして科学も宗教も同じところを目指しているんじゃないか?なんてね
>>185
阿弥陀って龍猛(龍樹)が考えたあみとぅーば(阿弥陀)の
神のことだぞなんだそのアブラカタブラって >>194
キリストも神だろ?
そういうのと同じなんだろうね
優れた宗教者としての現実的な意味と
超越者の象徴としての意味が複合する概念なんだろうな 仏教ではこの世のことを娑婆と言って苦しむため(試練)の場だという
生きてるうちに善行を重ねてステップアップすることができる
天道(てんどう、天上道、天界道とも)
人間道(にんげんどう)
修羅道(しゅらどう)
畜生道(ちくしょうどう)
餓鬼道(がきどう)
地獄道(じごくどう)
四聖諦だけでもいける
苦諦:生老病死という、人として経験し認識してる一切は「苦」(無常で認められない)
集諦:苦の原因は、認められないものをあると認めて留まり執着すること(煩悩)にある
滅諦:原因である煩悩を解くと苦は滅する
道諦:その方法がある
>>205
その割には馬鹿みたいに葬式で金使うんだよな
日本人の根底にある土俗の先祖崇拝みたいな物が垣間見える >>209
> 人間道(にんげんどう)
> 修羅道(しゅらどう)
> 畜生道(ちくしょうどう)
> 餓鬼道(がきどう)
> 地獄道(じごくどう)
これゾロアスター教の考えで
仏教の考えじゃないよ
仏教は「この6つに転生したくないから
修行して無になるぞ」って奴が信じるもの >>205
そのセレモニー信仰っぷりが外国人の目から見ると信心深い民族性に見えるようだ
位牌とか仏壇で毎日ご飯や生前好きだった物とかお供えしてお線香も絶やさず死者を偲ぶ有り様がひどく宗教的に見えるらしい
この辺は仏教の殻を被った日本人的な先祖信仰、死者信仰だけどな うそ
谷川俊太郎
ぼくはきっとうそをつくだろう
おかあさんはうそをつくなというけど
おかあさんもうそをついたことがあって
うそはくるしいとしっているから
そういうんだとおもう
いっていることはうそでも
うそをつくきもちはほんとうなんだ
うそでしかいえないほんとうのことがある
いぬだってもしくちがきけたら
うそをつくんじゃないかしら
うそをついてもうそがばれても
ぼくはあやまらない
あやまってすむようなうそはつかない
だれもしらなくてもじぶんはしっているから
ぼくはうそといっしょにいきていく
どうしてもうそがつけなくなるまで
いつもほんとうにあこがれながら
ぼくはなんどもうそをつくだろう
質問を変えよう
嘘を吐いたことのない人間がこの世にいると思うか?
>>209
それと仏教では
「解脱出来ないようなパンピーは解脱しようと
修行してるお坊さんにご飯を上げると人間に
転生できるよ」
という考え。
あと、いいことすると人間になれるけど悪いことは
ノーカウントというアホが考えた宗教になってる >>220
転生輪廻はバラモン教にもあるよ
お釈迦さまより先だよ >>219
そもそも「人間」は「存在」するのか
「人間」とは何か「存在」とは何か
その「人間」というものが犯す「罪」とは何か
↑
この疑問は役に立つと思う 仏陀は神の存在を否定してないからな
バラモン教の世界観そのままで仏教という新しい教義を作った
>>220
それはお坊さんから有り難い教えを聞いてっていう話だったはず
でも乞食業って頑張って考えたんだなぁなんて思うシステムだよな
ただまさか腐った乳粥を出されるとは思ってなかったようだけど >>221
これ歌にしてる
DiVa - うそ (詞/谷川俊太郎, 曲/谷川賢作 | live on musica da Leda, 2017-06-20)
これも面白い
DiVa - かえる (詞/谷川俊太郎, 曲/谷川賢作 | live on musica da Leda, 2017-06-20)
言葉にすると嘘になるとか歌詞で聞いた事があるけど
誤解のアップデートの繰り返しが真の理解への道なんだろうな
>>223
色即是空だね
人間も含めてあらゆる存在が空である
これを踏まえたうえでの問いだ
君は嘘を吐いたことのない人間がいると思うか? >>228
踏まえるものがない、踏まえた上でのものは全て解釈
「踏まえるものがない」つまり「認められない」=「空」
これは理屈で学び分かることじゃないし
分かれば全ての疑問はなくなるはず 教祖とか新興宗教の本5冊位持ってるけど
俺自身はほぼただのチンピラで教祖とか殆ど興味無いんだ
本屋に行くと選ばされるんだよ何かに
「次はこれとこれとこれね」って
何でただのオッサンがソロモン王とかアレイスタークロウリーとかブラヴァツキー夫人とか知らなきゃダメなんだよ……
どんどん認知が歪んで最終的にはどう見てもガイジになるまでが仏教の修行です
問処が答処、問いが答え
その上に「何か」を認めて疑問を重ねるのが「輪廻」と呼ばれてる
全ては空である
ということであらゆる人間の認識は幻想なのだ
つまり人間が認識する限り
人間は幻想から逃れられない
その意味でウソをつかない人間などいない
全ての人間が嘘を吐いて生きているのである
ということを踏まえてもう一度谷川俊太郎の詩を読んでみて欲しい
「一心生ぜざれば 万法咎(とが)無し」『信心銘』
なんてあるね
お釈迦様は色んな哲学的疑問を持ちかけてくる修行者に「無記」を示した
疑問というのはその人が持っているもの
一つの疑問に答えを得て、その時は満足しても必ずまた別の疑問が出てくる
それを満足させて〜と延々と輪廻に落ちていくことになる
輪廻から解脱しなさいよというのが仏の教え
>>233
マジ疑問なんだけど
じゃあ嘘つきはぶっ殺していいよな?
駄目なら理由を仏教的な理屈で教えて >>235
色即是空のあとに空即是色と続くからね
すなわち空であるからこそのあらゆる色を生み出す自由がそこにはある
言ったら>>233の考え方も認識が生み出す嘘であるが
ぼくはうそといっしょにいきているから
ぼくはさっきうそをついたのだ
いっていることはうそだけど
うそをつくきもちはほんとうなんだ
うそでしかいえないほんとうのことがある
ぼくにはうそをつくじゆうがあるんだ >>240
いいよ
いいと考えるのがお前なんだろ
それが仏教か? >>239
仏教の全ての教えは「方便」とされる
「ウソも方便」ってやつね
だから何を聞いても分かっても、「それを認めてる『自分』とは何か」とやり続ける
対象として何かを認める『自分』があるというのを無明という 嘘つきなんてぶっ殺せばいいだろ
嘘つきなんだから最初から居ないのと同じ
むしろ殺してやった方が本人のため
谷川俊太郎さんもそう言ってんだろ
結局覚者は一般社会の観念から離れた場所にいるから本物の覚者になるときは逮捕される時なんですよ
嘘つきぶっ殺せに対して
なにも答えられない教えって
それってつまり
ただの悪解だよね
>>242
自分はあってもいいのよ
そうじゃないと社会生活おくれないからな
じゃないといけないってことがそもそもないんだ そして「無明も無く、また無明の尽きることも無し」と般若心経には説かれてる
根本煩悩である、『自分』がある(無明)がもとからないから無くなることもない
それは生老病死という苦も同じであると語られてる
「唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相」
>>246
応えたぞ
そもそも良い悪いなんかないから嘘つきが殺されるべき悪ということではないんだ 煩悩ってのは動物を殺してはいけないということではない
必要以上に殺してはいけないということだから
これは嘘についても同じである
嘘をつくことによって誰かを守りたいとか善行の場合は
問題ないとされる
統一された経典もない
弱者救済の概念もない
搾取だけの宗教
神道である
>>161
経文読んで解脱できるんなら仏陀は要らないんだよ 嘘つきぶっ殺せに対して
お前も殺してやろうか?誰だって死にたくないだろうとアンサーするのは
小学校の先生レベルの道徳だよね
そんなものは仏教と関係ない
おい嘘つきぶっ殺してやろうか
>>248
その通りだね
自分が無かったら>>245になるしなw
宗教的な戒律はそのために「も」あるのだろう 「時時に勤めて払拭し 塵埃を有らしむること莫れ」(迷いの汚れを払うよう常に努める)と言った神秀に対して
「本来無一物 何れのところにか塵埃を惹かん」(もともと悟りも迷いもない、だから払うべき汚れなどない)と答えた慧能
>>255
とりあえず落ち着けよ
楽しく仏教の話しようぜ >>216
外側から見るとそうなのか
中々、内側にいるものとしては気づき難い視点だな >>260
お前が生きてるのも嘘
楽しいと感じるのも嘘
だからお前を殺していいか?
死んだのも嘘
この世は嘘 それは冗談としても経文研究して悟ろうとしてるんなら間違いだからやめた方が良い
それは仏教学者になる方法だろ
キリストは十字架に祈ったことはないし
釈迦だってお経はあげてないだろう
じゃあどうやって2人は覚者になったの
特別な主人公なら、こいつらなろう系かよ
もちろん 仏陀の教えはありがたいから大いに人生の指針となる
それは間違いない
>>262
君が俺を殺したいという気持ちも嘘だからな >>264
直接聞かなきゃ意味無いんだよ
だから仏陀が必要なんじゃん 悟りと迷いってのが、つまり「ウソ」なんだよってこと
「ウソも方便」
迷いようもないのに、物を認める妄想にとらわれて勝手に苦しんでる衆生に
「解脱」という大ウソを立てた釈迦という大ぼら吹き
仏陀の言葉には加護が有るんだよ
他の人間が説いても無力なわけ
仏陀は姿を見ただけで加護が有る だから仏陀は宇宙で一番ありがたい
オカルトと言おうがなんだろうがそう言われてるんだから仕方がない
俺じゃないよ言ったの
色即是空のあとに空即是色と続くのはこういうことだよな
空に飲み込まれないでむしろそこに自由の清々しさを感じるぐらいのエゴの強さが無いといかん
>>271
弟子たちが釈迦に続いて悟りを開いても
釈迦と同格にはなれないのが
仏教の世界観だから
それは、ほんとにそうなんだろう 超越者と同格になるのは自我肥大だしな
俺はブッダだとか俺はキリストだとか言い出してしまう
やっぱエゴは強すぎず弱すぎずがいいね
>>270
結局全ての教えがタントラヴァジラヤーナの為の方便って考えの人がいてなるほど面白いなと思った ソースが富永仲基でワロタ
知られざるってことはないだろう
「無門いわく、
黄面の瞿曇、傍若無人、
良を圧して賤と為し、羊頭を懸けて狗肉を売る。」『無門関第六則』
黄色い顔したゴータマ野郎(お釈迦様を罵る言葉)はとんでもないやつだ
既に解脱済みのものを捕まえて「お前は迷ってる」とウソを教えて人を惑わせ苦しめる
だから日本人は宗教なんて本気で信心してないだろ
信心て言葉自体創価でしか聞かないレベルに
問題はない
>>280
伝わらないから仏陀がいるんだし
一切衆生は解脱できないままなんだぞ
文章で人間が良くなるんなら苦労ないからな >>19
のんのんびよりに登場する宮内れんげというキャラクターの通称 >>190
コーヒー豆にもいちいち洗礼しないと飲めないキリスト教徒に言われてもなぁ >>268
大乗で般舟三昧が重要視されたのはこれが理由だよな。
現前に仏が現れて、直接的に聞法を受けられる。
部派でも授記とか必要になってくるから、
長い輪廻のサイクルの中で、一度は仏にあう必要はある。 釈迦が弟子を集めて説法した時、何も言わずにただ一枝の花を見せられた
皆黙った中で迦葉だけがにこりと微笑んだ
釈迦は「仏法の神髄を言葉や文字によらず迦葉に伝授した」と言った
で、それが気に喰わなかった無門が>>279の様に言ったわけだが
お前らこれどう思う?
仏陀は何故に花に微笑んだだけで仏教伝授したと言ったのか
無門のツッコミは果たして正統なのか お釈迦さまの初期仏教
人生は苦(ままならない)
煩悩を捨てよ
大乗仏教、法華経
あるがままでええんやで
密教
煩悩も聖
後期密教
セックス!セックス!とにかくセックス!
セックス即菩提!
質問を変えよう
迦葉は何を見ていた?
彼以外の無門も含めた押し黙った連中は何を見ていた?
答えは書かないしレスしなくてもいいからよく考えてみてくれ
悟りなんぞ、お釈迦さまの十大弟子のひとり
周利槃特はただひたすら掃除を続けるだけで得られた
無心に5chの糞スレに糞レスし続けてたら
悟りに到達して阿羅漢になれる
「本有円成仏なんとしてか迷倒の衆生となる」
>>296
「釈尊」とはいるのかいないのか
その法を受け継いだとされる「摩訶迦葉」はいるのかいないのか
それを今解釈してる「自分」はいるのかいないのか >>299
ゴメン1回だけレスするね
それは無門の側だ >>242
自分という物に囚われてる時点で
無明の闇をさまよってるねん
自分と他人
自分と仏
生と死
の違いもないこと知るのが悟りやんけ
糞レスし続けてるお前は無明の闇をさまよってるねん 「諸行無常・諸法無我・涅槃寂静」
時間と空間を隔てた「歴史的実在」としての
「釈尊」であり「摩訶迦葉」であり、今ネットを見てる「自分」であると
その上で解釈すると輪廻に落ちる
「霊山の一会、厳然として未だ散ぜず」
まぁ普通に考えて漢字の用語に違和感を覚えてない時点でそういう程度だろうな
>>304
自分は賢いとも思わず
悟りを得ようとも思わず
自分と他人
自分と仏
自分とネトウヨ
自分と安倍ちゃんの違いもない
ただひたすら糞スレに糞レスし続けよ 「解釈」なのか「実参」なのか
「釈尊」とか「無門」とか、それがどう言ったこう言った、このお経ではどう、悟りとは迷いとは
↑
こういうものは全部解釈、言語の上でやってる
つまり輪廻してる
日本で主流の鳩摩羅什訳の経典はかなり道教の思想が混じってる気がするんよなあ( ・ω・)
般若心経を偽経かどうかは言及しないが
中国人が儒教や道教の世界観で解釈した仏教が、
日本に入ってきたのは誰も否定しないよね
なんで漢字やねんっていう
>>310
法隆寺には般若心経のサンスクリット語の原典が伝来してる 「奇なるかな、奇なるかな、一切衆生悉く皆な如来の智慧徳相を具有す。ただ妄想執着あるがゆえに証得せず」
↑
釈尊の成道時の言葉とされてる
一切の衆生、山川草木、有情無情全て既に成道済みとして現れてる
でも妄想執着(ものを認める作用)でそれに気付けない
これを信じるとか信じないとかではなく
一応、解脱としての「答え」とされてるとサラッと目を通しておいて欲しい
>>312
考えずただ生きる
に到達できたら
それでええんや
お前みたいに聞きかじりの用語並べてる間は悟ってないねん >>313
「悟ってない」
それに落ち着く
凡夫が凡夫に落ち着くことを「仏」と呼んでる お経は現地人でも普通に読めるように書け
でないと地獄に落ちるわよ、と釈迦は言ったそうだが
日本に出回ってるのは漢字で書かれた般若心経
れんちょん、これどういうことだってばよ
>>314
生きることも死ぬことも
悟ることも
自分も他人も仏もみんな同じなんや
凡夫も仏も区別はない 逆に「悟った何か」
「悟った自分」「悟った誰か」(釈尊やその他宗派の開祖)があるうちはそれはおかしい、となる
迷悟中の人
誰でも中学高校くらいまで出てる現代では
ナチュラルに悟ったやつが、そこら中に実はゴロゴロ居る派ですわ
そこらへんの坊主も自分が覚者であることを隠しているに違いない
隠して原チャリに乗ってる
>>310
なんで漢字だめなん?
部派仏教の資料でも、近隣の国の言葉(中国語)は菩薩によって作られたってあるが。 誰も触れてないから聞きにくいんだがれんちょんて誰だよ
日蓮ちょん?
>>318
中学にして自分はブスだと悟った少女とか ●中国仏教の無
中国には老荘思想のなかに万物の根源は「無」であるとする考えがある(『老子』(40)「天下万物は有より生じ、有は無より生ず」)。インドの「空」思想は初期の中国仏教においてこの「無」の考えに準じて解釈され(『肇論』(宗本義)のいわゆる「本無」説)、「無」と「空」は同義、一歩進めて、「空」は相対的なレベルに止まるが、「無」は「空」「不空」を超えた絶対的なものと理解された。中国・日本の禅思想で「無」を重視するのは、この流れを汲んだものであると言える。
・・・という事で日本の仏教が中国経由である限りサンスクリット原典があっても解釈の段階で老荘思想が混じっちゃってんのよねえ
>>324
「虚無」ってのは人の見方、解釈
「無だ」とか「無いんだ」とかは人がそう思ってる(←こういうのはニヒリズム)
仏教で示されるのは「人の見方を全て滅する」(だから滅も消える)
西洋では仏教はニヒリズム的に解釈されてたらしいね >>324
虚無主義は色即是空だけ
宗教は空即是色もある >>311
梵本あるから偽経じゃないっていうのは、必ずしもあってるとは限らんけどな。
中国で作られ、逆輸入パターンもあるし
現在世界と日本で使われてる般若心経でさえも、訳違いあるのは謎だし、
般若心経で説かれる空は、どこの部派、大乗運動の連中の立場で述べられたかは気になるな。 例えば、上座部仏教の『清浄道論』に十六観智ってのがあり
その最初が名色分離智
「名」(言語)と「色」(物質的現象)が重なっていない(だから言語は虚妄である)と気付くのが最初の智(悟り)であるらしい
これに気付くと、サンスクリットでもパーリ語でも漢語でも日本語でも全て言語なんだから
その差ってのは問題にならなくなる
>>325
トランスレートで他の思想を参考に翻訳は仕方ないけど、
そもそも中観派の空と、中国仏教教団の空の理解って同じか?とは思うね 言語や原典の文章の穿鑿ってのも
文献学歴史学的には意味のあるものでも
実際の探究には意味のないもの
>>326-327
そんなこと仏教を信仰してない人間に言っても納得しないと思うけどね
結局空をニヒリズムから救うのは涅槃があると信じられるかどうか
だから仏教は宗教であり信仰なんだよ >>328
法隆寺のサンスクリット語原典の般若心経は世界最古
ここにしか残ってない文化遺産 >>333
仏教は本来的に「信仰」ではないのよ
(信仰を方法として使う宗派もあるが)
「信仰」ってのは「自分」が「何か」を認めて観念上でするもの
仏教で示されるのは、それは虚妄である、捨てなさいというもの >>333
そんな大層なもんじゃないよ
ニヒリズムとか言いながら
実は意味自体に価値を置いていることに無自覚であるのが
空を苦痛であると感じてしまう中途半端さが意味のなさに対して苦痛を感じる原因
ただそれだけのこと >>335
中観派の中でつくられたと考えられてるの? >>310
般若経の出現で原始仏教は随分と変質しただろうな >>333訂正
そんな大層なもんじゃないよ
ニヒリズムとか言いながら
実は意味自体に価値を置いていることに無自覚である中途半端さが
空を苦痛であると感じてしまう原因
ただそれだけのこと >>339
それ以前に、般若経と対立関係にある説一切有部の段階から
すでにもう変質してたんじゃないか?w 意味が無くて辛いっていうのは意味がある方が良いと思ってるからってこと
当然、「大乗」も「小乗」も「上座部」も「禅宗」も「浄土教」も無い
道元も「禅宗」と呼ばれることを嫌ってたらしいね
どうしても言いたければ「仏心宗」と言えと
真理はなくて、物事は人の見方で変わるってのが教えだから
数人の弟子の解釈が佛教大学になってる
だからと言って仏教が宗教じゃないとは思わない
自分もそこは>>333に同意
ただ意味自体は哲学的と言うか思考的なアプローチで相対化できるけど
更にその先があって
問題はエゴを相対化できるかどうかなんだよな
その為には仏とか菩薩とかいう超越者が必要なんだと思うし
だからこそ仏教は宗教だと思うんだよな キリスト教や仏教を奴隷製造の為の道具みたいに一つの運用、悪用のされ方を見て他の側面を見ない頭の浅いインテリ気取りのジャップが1番哀れ
肉体を見せてみろよって思う
禁欲主義を持たないお前らがどれだけ肥えた豚になってるかよくわかるだろ
キリスト教や仏教の道徳律が無ければ怠惰に暴食に嫉妬に傲慢さに放蕩に、とにかくあらゆる悪習慣に対する良心の呵責も気持ちの悪さも抵抗も無くなるからな
道徳律のないお前らの身体なんて肥えた豚みたいなもんなんだろうな
世俗の教えは害悪極まりない
欲望を満たせば満たすほど人間は幸せになると教える
そんなのは栓を抜いたまま注いでる浴槽
飲めば飲むほど喉が渇く海水のよう
右肩上がりで無ければどこまでも行っても空虚って事を知らない知るはずもない
でも、でも、罪深く何もできない人間は阿弥陀仏に救ってもらうしかないから!
>>347
禁欲して素晴らしい肉体を得た君は俺らより偉いよな
…それが仏陀が苦行を捨てた理由ですよ
エゴが強化されて人を豚呼ばわりして見下すぐらい傲慢になってしまうからな
もちろん禁欲主義にも良い面はあるが
日本の現状を見る限り日本にとって必要なのは傲慢の克服なんだと思うんだよな 別に傲慢になるぐらいならまだいい
でも傲慢になって暴言吐かなきゃやってられないぐらい苦しんでるじゃないか
苦行してもなおまだ苦しんでるじゃないか
その苦しみをどうにもできない無力が辛い
>>76
一応妻帯禁止で厳しい環境に置かれる仏教もあるけど
生臭坊主の方が目立ってるよな >>355
厳しい環境に置かなきゃならん宗教なんか ブッダの最後の言葉は「自灯明、法灯明」
要するに自分で考えろって言ってた
自分で考えたことに本当も嘘もない
元々はカーストの中で一生底辺だーって苦しんでる人を救うためのものだからな
原始仏教が本物でチベットでやったらアカン言われてた偶像化と神格化してから中国に渡って翻訳されていろんな神様取り込んで普通の宗教みたいになっちゃった
>>116
先とか言ってる時点で資本主義を全く理解していない
資本主義は破局へ向かうかのように見えて何度でも再生し、その度に恐慌で大量の人間を犠牲にして生き続ける ナーガールジュナのテトラレンマなども所詮せいぜい計算機科学にその痕跡があるかもね、程度のものにすぎない
>>309
>>364
仏教思想より、「仏教」がどんどん混ざり合ってカオス状態に成ってきたかの仏教史には興味が沸く >>366
それってどんどん前資本主義に退行していくってことじゃね?
クラッシュの度に資本主義のエトスが摩耗してやがて綺麗に無くなる
後に残るのは大資本家という現代のギルドでそのギルドが倒れても次に登場するのもまたギルド
資本主義は二度と花開く事はあるまい
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ、、、 372番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です2021/11/14(日) 03:20:16.68
2000年の運用実績がある仏教を捨て、国家神道とかいうカルトに乗り換えたら僅か70年で滅んだ。
それが大日本帝国
仏教「主旨が正しければ内容が多少違っても正典だよ」
↑
この甘えたルールのせいで儒教とかいう害悪概念を盛り込まれて無事死亡
いつもの盲信的な仏教スレとは違う良スレなのに深夜に伸びてないのが寂しい
>>361
お釈迦様は「自らと仏法を明かりとせよ」と言ってるわけで「自分で考えろ」と言う自主性を尊ぶ事に重きを置いた意味の言葉ではないと思うがな >>78
いや翻訳したのはオウムじゃないぞ
麻原が古本屋で見つけた翻訳をそのままコピペしただけ >>351
当たり前にエゴって言葉使ってるけど仏教にはエゴに相当する言葉がないのか? 人類史上で如何なる宗教を持ってしても平和を実現して無いからな現存宗教なぞクソである事は間違いない
今後出てくる事は否定出来ないけど望み薄いわ
>>78
一部を切り取ってごちゃまぜにするのがカルトなので >>383
>>351が言ってる内容から考えると違うな慢が相当してそうだがそれも仏教における解釈ともズレてる感じ 仏教には宗教哲学が無いからキリスト教やイスラム教のように世界に普及しなかったというのを誰かが言ってたな
>>383
それは、悟りに至るための方向を指し示す方便みたいなもの
エゴは自我とか煩悩的なのだろ
仏教の本質は、自我は幻でありませんってのを修行で体得して、
本質に目覚めるってだけの話なんだけど、あーだこーだ理屈こねたり仏がどうのこうの
言うから、意味不明な宗教になってる。原始仏教から見ると戒名とかなんやねんってなるw 原理主義者だらけでワラタw
テロでも起こすのかい?
仏教は屁理屈こね回すものではない
屁理屈好きは西洋哲学でもやっとれ
大乗非仏説をいうと小乗だの原理主義だの言われるが
大乗経典信奉者のほうが変な四字熟語を並べ立ててこれの意味はこうだからこう
っていう断定的表現をしてそれになにかいうと自分は正しいという驕慢がどうとか言い出すのはなんでなの?
出家修行者でも研究者でもないのに聞きかじり知識でホンライノブッキョウハーと語り出す奴なんなの
>>390
>仏教の本質は、自我は幻でありませんってのを修行で体得して、
逆でしょ
自我、アートマンは幻であることを理解して無我、非我に至るのが仏教だよ 中国を経てるから色々盛られてるとかそういうやつかね
>>395
根本分裂に至った一般人置いてきぼりを今の大乗経典信奉者が同じようにやってるのが一番面白い
少なくとも鎌倉仏教はハイ論破ってやらないと負けの世界だから上から目線で偉そうに語るしかできないんだよな >>399
ガチじゃない人同士が酒の席や便所の落書きで話のネタにするには面白いネタだけど、
片方ガチだと地獄の釜の蓋が開きそうな話よな 釈迦の次の仏は56億7000万年後に現れる弥勒菩薩とされてるから、今修行しても仏には成れませーん
残念でしたー
>>401
確定してるだけでそれまでになんか如来来襲イベントとかありそう >>33
そうだ
「発見」と「発明」とでは天と地ほど違うからな
( ´・∀・`) >>378
むしろ"自分で考えること"の危険性を説いてる気もする
( ´・∀・`) >>347
ワシの考えでは禁欲は単なる我慢比べでは無いので
351の言うことは良く聞いたほうが良いかと( ´・∀・`) >>364
「知る」の他に「信じる」が含まれたらそりゃ宗教だろうな
( ´・∀・`) >>404
仏教から発明されたものってなんかあった? >>409
掃除しろ掃除
仏道の修行は掃除に始まり掃除に終わる
ひたすら掃除するだけで阿羅漢になれる 大乗仏教はキリスト教的な救済や祈りが含まれているから、ケンモメン的にむしろ良い方向に発展したと言えるね
釈迦に一日中掃除しろと言われたのはそれしかできなかった弟子だろ
>>414
周梨槃特は釈迦十大弟子のひとり
ただひたすら掃除をするだけで悟りを得て阿羅漢になった
東アジアの学校で生徒に自分たちの教室を掃除させるのは
ここからきてる チューラパンタカの物語も凄く大事なことを教えてるよね
お掃除修行は唯識の立場で考えると物も心も識で同じモノなので現実で掃除をしたら心のことも掃除したことになり阿頼耶識のレベルでちょっぴり心も綺麗になって解脱に近づくことになる
日々の行い一つ一つと修行とを具体的に結びつけるこの考え方は分かりやすくて割と嫌いじゃない
難解な理屈ばっかりだと解脱へのモチベーションもなかなか保てないしね
キリストもだけど、開祖がどう言ったかは関係無い
経典に「○○と言いました」と書いてあれば、それを信じるだけ。「違うもん!仏陀はそんな事言ってないもん!」と思えば、それを主張して新しい宗派を作って信者を増やせば良い
>>397
俺もその手の話スレかと思ったら
わけわからん屁理屈並べてるのが連投してるから去るは。。。
へんなの沸き安いからやっぱ土日のこの手のスレは見ないほうがいいな >>420
仏教スレなんて大体いつもこんな感じだぞ
今回は念仏や創価が連投してないだけまだマシかもしれん >>419
洗練された変化は形骸化したオリジナルよりよっぽどいいしな
本質的に別物になったら困るがオリジナルじゃなきゃダメってことはない >>424
「この書の預言について」はそうなんだろうな 俺たちは学校を自分たちで掃除している!
だから外国人よりも偉いんだ!優れてるんだ!
ネットでこんな傲慢な意見をたくさん見て来たわ
お前ら成仏ってどういうことだと思う?
死者は成仏すると思うか?
>>392
徹底的にへりくつ捏ね回してヨーロッパで詭弁と断定された竜樹
http://manikana.la.coocan.jp/paper/origin.html
だが、ここに大きな疑問がある。なぜ龍樹はここまで恨みを込めて『チャラカ・サンヒター』を目の敵にしたのであろうか。推測できる有力な答えはこうである。インドの医学については、古くから二つの系統が知られている。外科医の系統と内科医の系統であり、外科医としてはスシュルタが有名である。内科医の系統がこのチャラカで、それぞれ『サンヒター』を著した。チャラカはアグニヴェーシャの書を増補し『チャラカ・サンヒター』を著したと言われている。一方、スシュルタの書を増補したのは、じつはこの龍樹その人であると言われているのである17)。龍樹は、医学書『ヨーガシャタカ』の著者ともされ、薬学の素養があったことを示す伝承もある18)。これが事実であれば、当時カニシカ王の侍医として名声を得ていたチャラカに対して、対立するスシュルタの系統の龍樹がにがにがしく思っていたということは十分ありうることである。ただ、今の段階では、この説は推測の域を出ない。 日本の鎌倉仏教はアブラハムの宗教のほうが似てるからね
>>1
大乗だけでなく上座部仏教も怪しいよな
阿含経をベースにしたΩのみが真実の仏説か 成仏とは文字通りフランスに渡ること…じゃなくて仏になること(笑)
要は悟るということ
悟るとは悟る必要なんか最初からなかったということを知る事
仏に成るもなにも最初っからみんな仏であったということ
死者も含めて実はみんな最初から仏であったということを知る事
つまり自分が悟る(仏に成る)ことによって全てが仏に成ると言う事
なにが言いたいかと言うと、小乗も大乗も本質的には同じなんですよ
大乗の心(他者を救済しようとする心)無くして小乗の悟りは得られず
小乗の心(自分が悟ろう、救われようとする心)無くして大乗の悲願は成就されません
野球が上手くなるためにストレッチするべきか筋トレするべきか技術トレするべきか…
どれも必要だからね
ただ人によって必要なものが異なるというのはある
大事なのは、いずれにせよそれらは手段であって目的ではないという事
>>429
成仏って、仏になる、つまり悟りを開くこと
簡単に言うと、霊に取りつかれて酷い目にあったのでお祓いして成仏させるって一般にはなってるけど、
実は取りついてたのは"お前自身”。それが成仏して涅槃になるってなる。
って、同じこと言ってんじゃんw >>441
別にお祓いを否定はしないよ
本気で信じる人にはそれなりに効果があるんだろうし
それで一時的にでも救われる人がいるのもまた事実なのだから お経が除霊の呪文みたいな扱いな時点で
ジャップ...ってなるのん
成仏の前提として輪廻転生がある
その最上位の天上界でも次の生で天上界に生まれ変わるとは限らない
この輪廻の鎖が修行によって完全にほどけた者をほとけと言う
>>438
>死者も含めて実はみんな最初から仏であったということを知る事
だから誰を殺しても問題ないんだよなあ >>445
社会的に問題あるでしょ
逮捕されて不幸になりたいなら別にいいんだろうけど
なら何のために仏教学んだのって感じ 誰が言った教えだろうが、クソである事に変わりはないのにね
>>446
>社会的に問題あるでしょ
むしろその社会が煩悩に囚われているだけでしょ
すべて仏性を持ち元々悟りも何も無いんだから
生きても死んでも殺しても何の問題もないと
社会全体が気付くべきだと思うよ 我々は知らず知らずのうちに大量の命を奪っていて
それで何の問題もないわけで
人間だけが命を奪われないということが不自然なんだ
>>448
そういうのを外道という
戒律は道を踏み外さないために「も」ある すべて仏性を持つ存在だと悟れば
誰をどう殺そうが殺されようが
何も問題はないってこと
これがΩの到達地点で
仏教を突き詰めればこれが真理と理解できるはず
そういう悟りこそが大切だろう
在日スリランカ坊主の般若心経批判は
まぁ激烈よね
要約としても間違っているし、
意味を通すならこう書かねばならない、と
ロジハラの荒らし
>>451
でも自分は殺さないんだろ?
つまりエゴだね
エゴ
真理どころかただのエゴの都合の良い解釈 「個の命」ってのがないものなら
「殺すなかれ」ではなく「殺しようがない」
「殺しようがない」なら「殺す」という意識が出てこないのが当たり前
全てを思うがままにしたいエゴと全く思うがままにならない現実(一切皆苦)
その葛藤に折り合いをつけるのが宗教なわけだが
ウェーイ俺は悟ったぜ!人殺しだろうが何だろうがやってもいいんだ!と言うのは
思うがままにすることの正当性を得た感じで
エゴからすればちょっとした葛藤の解消に感じるだろうが
本当の意味で折り合いがついたわけじゃないんだわ
そもそも信じて無いから仏教なんて
小学校の起立礼着席ぐらいの行事感でやってるだけ
じゃあ本当の意味で折り合いをつけるってのがどういうことかと言うと
思いのままにならなくて辛い?思い通りにならないのが当たり前でしょ
ってなることだよ
自分が思い通りにできる、したいと思うのがそもそも間違いなわけさ
>>455
なんで?自殺もイイヨ
ドンドン自殺していい >>456
>「殺しようがない」なら「殺す」
殺すということがナイから殺しても構わない 人間を殺すのは社会的に糾弾されるということだけが
殺さない理由
それ以外には何も無い
>>456
焚き火みたいなもんで
燃料の木の枝が消えてなくなっても
別の形として残ってるので
宇宙レベルではなにも変わってない
だから人間も殺していいのでは?
命の火が消えても、別の形で残ってるだろうし
っていうのが仏教のよくある悪解なんでしょ >>1
それ言い出したら、世界中の教典ヤバいからやめろ >>465
仏教ってのは解釈じゃない
思想や哲学、他の宗教とは実は違うもの
解釈ってのは「自分」が頭の中でやってるもの
それを解きほぐしなさいよという教え >>470
>仏教ってのは解釈じゃない
それが>>294の答えだね
綺麗な花を見て素直ににっこりできる心になるのが仏教を体得するという事
いくら知識があっても仏陀は一体どんなつもりでこの花を…って感じで考え込んで
目の前の花の美しさが見えないのは仏教を体得していないという事 (´・ω・)「やれやれ共産主義の時代だよ」
( ゚Д゚)「どういうわけだい?仏教を極めたおいらさん!おしえとくれ」
(´・ω・)「確かに仏教の教えとは全く異なるものです。仏教は昔のインドの身分制から逃れようという思想だからです」
( ゚Д゚)「どうして日本人は平和の教えとして仏教を用いた?」
(´・ω・)「それは日本に善いことをして敬われる仕組みがなかったからだよ」
( ゚Д゚)「ふむふむ・さすがおいら師だ。でも仏教そのものが権力した歴史もあるのね?」
(´・ω・)「その通り、どのような権力でも暴走する可能性を持っています」
( ゚Д゚)「なるほど。おいらさんは悟りを得てるんだね」
(´・ω・)「その通り。僕は生きてるお釈迦さまだ」
(´・ω・)「やれやれ共産主義の時代だよ」
( ゚Д゚)「どういうわけだい?仏教を極めたおいらさん!おしえとくれ」
(´・ω・)「確かに仏教の教えとは全く異なるものです。仏教は昔のインドの身分制から逃れようという思想だからです」
( ゚Д゚)「どうして日本人は平和の教えとして仏教を用いた?」
(´・ω・)「それは日本に善いことをして敬われる仕組みがなかったからだよ」
( ゚Д゚)「ふむふむ・さすがおいら師だ。でも仏教そのものが権力した歴史もあるのね?」
(´・ω・)「その通り、どのような権力でも暴走する可能性を持っています」
( ゚Д゚)「なるほど。おいらさんは悟りを得てるんだね」
(´・ω・)「その通り。僕は生きてるお釈迦さまだ」
「意味の無い〜だよ」が入ってるせいで途中から安倍に乗っ取られて脳内再生された
>>454
スマナサーラ師は大乗仏教はじめから眼中にないでしょ・・・ >>437
布施した額で戒名にランクつけるのほんと糞
その戒名はフリーソフトで決めてるっていう この前般若心経スレ経ってたが
ギャテーギャテーの下りのあの熱っぽさが何となく受け継がれてるのがボリウッド映画で脈絡なく挟まれる踊りのシーンな気がする
インド人は熱をためて解放してスカッとするのがとにかく好き
ヒンドゥーの価値観は輪廻転生の中でより高次の階層へ生まれ変わること
そのために不可欠な祭祀の現代風の名残りがああいう踊りなんだな
仏教をはぐくんだヒンドゥーの価値観を知らなければ仏教は理解できない
ひろさちやの本読んで何となく分かった気になって勉強始めた時分だが最近はヒンドゥー教を学ばないと仏教も理解できないという理解に達したぞ
>>468
別に殺したいわけではないが
殺したくなれば殺しても全く問題が無いということ
>>469
すべての者がそもそも仏性を持ち
すでに成仏しているというのも
釈迦の説いた仏説そのものではないが
仏教の本質を追究するとこうなる
Ωの言うことこそが仏教の本質
山川草木に至るまですべて仏性ある存在だから
誰をどう殺そうが殺されようが何の問題もない 元々は「一切衆生を救いたい!お釈迦様もそれを求めていたはず」からのあえての妻帯だろ?
>>482
全てに仏性があるってさ逆にいうと仏性なんてものは初めから存在してないのと同義だよな >>454
阿羅漢であるシャーリプトラに菩薩が教えるっていう構図がもうおかしい。 >>482
言いたいことは分かるよ
でもそれは理屈であって
>>457で書いたようにエゴの都合のいい解釈であり
>>471で書いたようにそれは仏教ではないんだよ
何故かと言うと本来善も悪もないっていう理屈自体は正しいけど
それを実際にどう生かすのかっていう所なんだよね
その理屈をエゴの正当化だと受け取ったところで
その葛藤の解消は偽りなんだ
何故なら一切皆苦、つまり思い通りにならないからだ
人を殺した後に刑務所にぶち込まれて
じゃあ脱獄すればいいんだってなっても容易にそんなことできないよね
つまり現実の壁に阻まれるという事で
エゴの正当化は本当の意味でのエゴと現実との間の葛藤の解消にはならないわけだ
長くなりそうだから続くね こんな感じでエゴと現実との間の葛藤が解消されないという事は苦しみが解消されないということで
つまり涅槃には至れないという事
これに対して本来善も悪もない、だから罪を犯した人を許そう、
そして自分自身を許そうという態度というか方向性もあるわけさ
いわゆる慈悲だよね
全てを許すがゆえに全てがあるがままでいいと納得できた時
そこに涅槃があるよ
つまり四法印なんだ
諸法無我を知識の上でしか分かっていないとエゴに拘る
一切皆苦を知識の上でしか分かっていないとエゴの力に惹かれる
涅槃寂静を知識の上でしか分かっていないと苦しみから免れない
ユダヤ教>キリスト教みたいに
ヒンズー教>仏教という、流れがあるの?
>>491
人を殺して刑務所にいてそれでよしと納得できればいいんじゃね
脱獄なんてできもしないことに悩むのは無駄だしよそう >>496
それが自灯明法灯明ということ
あくまでも仏法としては人殺しなんかダメよな
でも現実は例えば
自分の娘が暴漢に襲われそうになってて自分は銃持ってるとか
そういうシチュエーションに遭遇するかもしれない
その時どうするかってこと
まったく自分(の判断、思い)というものを放棄して
完全に仏法に委ねて暴漢のなすがままにさせるのかどうか
それとも本来善も悪もないのだから
人を殺す(破戒を犯す)運命を自分の責任で受け入れる覚悟とするのか
自分が強すぎるのはダメだが弱すぎてもイケナイ
自分、エゴが消えてしまうのもまた違うわけです
結局のところ宗教とは矛盾人間になることだと俺は思いますね
エゴと仏が自分の中に両立しなければならないのです
…ここまで書けば言いたいことは分かると思います
一応最後に書いとくけど人殺しなんかしちゃだめだよ まだこいついるのか
書いてることが悉く間違ってるというか独見我見でヤバいな
仏教板で相手にされないこういうガイジは嫌儲とかの雑談板のニワカスレで
持論展開するのはもう様式美だな
>>502
一切皆苦だからな
都合よく出てきたり消えたりと言う事はそもそもないぞ 釈迦「俺王子様、生きてることが苦痛、なにも考えず無になりてぇ」
悪いけどクソやろ