こうして、1934年には、国家はこのような“混乱”の対策に精力を消耗することに耐えられなくなった。 それは戦争に直面している国の「国力を破壊するもの」であった。これを是正するためには、 社会の柱(pillar of society)である“家族を再強化”する以外に方法はなかった。
●そして、1926年に導入された非登録婚の制度を廃止。 登録婚だけが合法となり、 嫡出子と非嫡出子の「ブルジョワ的差別」も“復活”した。 婚外子とその母とは扶助料も受けられなくなった。 【ニコラス・S・ティマシエフ(Timasheff) 論文『ロシアにおける家族廃止の試み』】 (N.W.Bell"A Modern Instrucion to the Family"1960 N.Y.Free Prees所収)による。 http://www.oct.zaq.ne.jp/poppo456/in/b_cobet.htm