住み始めて1年ながら、久保竜彦さんは、すっかり山口県の港町・室積に馴染んでいる。
ビーチサンダルで歩き回り、釣り糸をたらし、近くのイタリア料理屋で親しくなったシェフと言葉をかわす。
室積の人々がこのサッカー元日本代表を温かく迎え入れていることがよくわかる。」
漁船の脇に立てば、もう、何十年もこの土地で暮らす漁師にしか見えない……。
インタビュー最終回は、現役引退を決断したあのころと、これからの人生を語る。(全3回の3回目/#1と#2も公開中)
山口・室積港にたたずむ久保さん
将来は「なんも考えてなかった」
ーー現役時代の終盤、将来のイメージはどう描いていましたか。
久保 なんも考えてないですね。ケガを治すことしか考えてなかった。断食もそうだけど、気功にも連れていってもらったりして。
結局、足の指がしょぼかったから、腰も膝も傷めたというところに行き着いたんですけどね。
指から腰まで全部つながってますからね。
十何年かけてつくってきた自分の足の指がしょぼくて、耐えられなかったというか。裸足では遊んでいたほうなんですけど、骨が小さかったんでしょうね。
父ちゃんに野球選手になりたいと言ったときも、ケツちっちゃい、アゴちっちゃい、お前は絶対に無理だって言われたから。まあ、それは当たってましたね。ケガが多かったし。でも、よくやったほうだと思うけど。
だっけ、現役中にそんなに先のことは考えてなかった。行き当たりばったりやけ、ほぼ、いつも。サッカーではやりたくないことやらなかったし、行きたくないところ、嫌いなヤツのところは行かなかったし。
「もうサッカーはやめようと思っていたんです」
ーー引退はいつ決意されたのでしょう。
久保 横浜FCをクビになって(2007年末)、もうサッカーはやめようと思っていたんです。
でも、ひとりの先生にばったり会って、そこから2、3ヶ月その先生のところに籠もって、トレーニングしたら、ちょっとずつ痛みが改善してきた。
結局は、足の指なんですけど、ねじれというかゆがみがあって、ちゃんと指が機能していなかった。
指がちゃんと曲がらず、指の開け閉めができなかったんです。
それを先生が最初に無理矢理曲げて、もうむちゃくちゃぎゅっとやられて一時的に腫れてしまって……。
最初の頃は怖かったんですけど、それよりも、ちょっとでも、よくなればと思っていたし、実際、やると変わってくるんですね。
もう、やめようかと思っていたときやったけえ、信じて、もう現役が終わってもええし、みたいな感じでやったのがよかったんすよ。少しずつ正常な状態に戻っていったんです。
フォワードが引退を決意するとき
ーーそれで、また少し寿命が延びたんですね。
久保 そうすね、痛みがだんだんなくなって。でも、やっぱ、フォワードとして、点が取れなくなっていくんです。
キュキュっと抜いて、バンというのが、やっぱりなかなか出せなくなるんです。ときどきは出るんですよ。
うわ、これ、昔の感じや、というのが。練習とか試合でも出るんですけど、続かないんです。(相手を)抜けなくなる、抜いて勝負ができなくなってくる。それで、あ、もうダメやな、って。
1試合やってても、ワンプレーしか、ときどきしか、昔の感じは出なくなるんです。本当、持続性がないという感じで。持続性がなかったら、試合には出られないし。
1試合を通じて何回かいいプレーができれば次も使ったろうとなるけど、ワンプレーとかそういうのではね。
「やっぱ、抜けなかったっすね。通用しなかったです」
https://news.livedoor.com/article/detail/16807529/
2019年7月21日 18時0分 文春オンライン
スーパーシュート〜久保竜彦〜 久保くんふけたな
レアルデビューしたばっかなのに、もうネガティブになってる
ーー最後、ツエーゲン金沢を経て中国リーグの廿日市FCに入ります。
久保 よく飲んでいた先輩から一緒にやろうと声をかけてもらって、ストライカー塾みたいなのでいいけんって。
で、子どもたちを教えたりしてたんですが、桑原裕義さんや大木勉さんたちと一緒にプレーできるとなって、なんか面白そうやな、とまた始めたんです。
でも、県リーグから中国リーグに上がると、もう無理でしたね。やっぱ、抜けなかったっすね。通用しなかったです。
決定的だったのは、試合中に相手選手と接触したとき、肋骨が折れたんですよ。あんなんで肋骨が折れたら、怖えな、と思いましたね。
弱っているというか、もうダメやなと思いました。
下の子どもが小さくて、いっつも父ちゃん父ちゃん泣いていたから、一緒にいたかったし。
その前も単身赴任で金沢にいて離れていたし。その子どものことと、通用しない、というその2つで引退を決めました。
「いまはなんも決めてないし、決まってない」
――室積に来てから1年、塩づくり、畑仕事のほかに、これからはどんなことを。
久保 いまはなんも決めてないし、決まってない。サッカーの仕事が入るときは入るし。
まあ、ごちゃごちゃ言われない面白い仕事だったら入れて。
いまは、移動できるトレーラーハウスみたいなものをつくる手伝いもしています。
いずれ、牛島に自分の家を自分の手でつくりたいという夢もあるので、勉強するつもりで、これから少しちゃんとやってみたいなと思ってます。家を自分でつくって、のんびりしたいな、と。
もともと小学校のときからいろいろつくってはいたんです。鶏小屋もつくったし、カブトムシや犬の小屋もつくったし。
父ちゃんがガラス・サッシ店やったから、だけん、道具とかクギや材料がいろいろそろっているんですよね。
鶏小屋では、祭りで買ってきたヒヨコやインコを育ててたのかな。
「自分で獲って、捕まえて、食ってというのは、気持ちいいな、と」
ーー陶芸も始められました。
久保 ここにバレリーというフランス人が住んでいて、彼女が陶芸をやっていて、そこに工房があるけんって言われて、おお、と思って始めたんです。
まだ、5、6回ですけど、何個か焼いたやつはあります。黒や茶色で。でも、やっぱり難しいですね。
自分で魚を釣るようになって、料理を自分の焼いた大皿の上にのっけて出したり、というのができれば面白いですね。
そんなふうに、いまは、とにかく勉強勉強で。勉強になりそうなところへ寄せてもらって、いろんな人に教えてもらいながら、興味があることをやらせてもらっている感じですね。
こっちに来てから思い出したんです。やっぱり、自分で獲って、捕まえて、食ってというのは、気持ちいいな、と。
自分の手と足と頭を使ってやるのが気分いいんです。
これからも気分よくいられるところにずっといたいし、相手も気持ちいいし、自分も気持ちいいみたいなところにいたいですね。
自然の中で、山も人間もどっちもいいようになる、自分中心にならず、トゲが出ないよう、そんな感じで気持ちよく生きていきたいですね。
ものすごく久保竜彦って感じのセカンドライフ送ってんなあ
>>1
あんた、酒飲みなはれ、やりなはれ、やりなはれー! プラハでのチェコ代表戦でのゴールを観戦できたのは、良い思い出。
トルシエ「原始人。現代人を上回る身体能力を誇るが言葉を解さないためコミュニケーションが出来ない」
ひょっとこダンスがカズの真似だったと知った時の衝撃ときたら
松木安太郎や山根会長みたいに何も大したことないお水遊びの毎日野郎がいい暮らしとかいい加減やめろよな。
何言ってるかサッパリ分からんが現役時代は凄かったのは分かる
サッカー選手として華があったわ
うちの地元の小さなスナックの姉ちゃんまで番号教えて知ってるとか逝かれてやりまくる人間になるな。
引退したJリーガーが数居れど、塩づくりしてるのはさすがにドラゴン久保だけや思うわw
サッカーやってなかったら長距離トラックの運転手だったと思うと
そう語っていた方の久保
俺は久保はサッカー辞めたら何も出来なくなって良くない道に行くんじゃないかと思ってたからホッとしている
奥さんに恵まれたからかな
節制についてはなにも言ってないのか
マークについたDFが「酒臭かった」と証言してた記憶があるが
たまにスポーツ選手にいるんだけど、脳のリミッターが外れていて、筋力が異常なレベルで働く
つまり常時火事場の馬鹿力の人、日本で言えばこの人ドラゴン久保、ドイツだとロイス
怪我してだめになるけど、プレーは凄い
「本当にやりたいこと」を探して……元日本代表・久保竜彦が瀬戸内海で「塩づくり」を始めた理由
元サッカー日本代表FWのドラゴンこと久保竜彦さんと待ち合わせたのは、山口県・光駅。
ここでインタビューをして、本土の対岸にある牛島に船で一緒に渡ることになっていた。
が、現れたのは、奥様ひとり。聞けば、午前の便で先に島に渡ってしまったのだという。肩すかしをくらった取材陣は、午後の便でドラゴンを追った。(全3回の1回目/#2と#3も公開中)
連絡船に乗って20分、緑におおわれた島が近づいてくる。瀬戸内海に浮かぶ周囲12キロの牛島(うしま)。島民は40人ほどで、漁業がその主な産業だ。
クルマは一台もなく、車道も存在しない。喧噪とは無縁の自然あふれる島だ。
久保さんは、いま、この島で塩づくりをしているのだ。
牛島港に降り立ち、数分、歩を進めると、ゆらゆらと湯気を吹く木造の塩釜小屋が目に飛び込んでくる。
が、ここにも、久保さんはいない。小屋の主に聞くとふらっと出て行ったままで、おそらく、浜にいるだろうという。
山の小径を上り、海岸に降りると、果たしてそこにウィンドブレーカーを纏い、サッカースパイクを履いた久保さんはいた。
天然岩牡蠣を探していたのだという。それは、我々を迎えるために用意しようとした牡蠣だった。
元日本代表FWがなぜ「塩づくり」を……
――久保さんがJリーグを経て、中国リーグの廿日市FCを最後に現役を引退されたのが2015年。なぜ、牛島で塩づくりをすることになったのでしょう?
久保 もともとじいちゃんとばあちゃんが福岡の山の中でブドウをつくったりしてて、自分も山で遊んでいて、どこか気持ちいいところがないかなあって、引退してからずっと探していたんです。
現役時代にも、豚肉とか鶏肉とか、いい食い物を探してて、いろいろ回っていました。石川の山の中とか、宮崎の椎葉村とかも食材探しで行ったりして。
食べ物に興味が出たのは、26歳のときに、断食を始めてから。それまではカップラーメンも食っていたし、ごく普通のものを食っていた。
でも、その頃、腰を痛めていて、ある日、マリノスのフィジカルコーチに山形にある断食道場に連れていってもらったところ、身体がすっきりした。
それから、やっぱ食は大事だなあって思うようになって
。そこからはずっと食材を探しながら、サッカーをやめてからこの土地は住めるかな、住めるチャンスはあるんかな、と引退後に暮らす場所も探していたんです。
“自由人”が最もしっくりとくる場所を探して
ーーそんな中で、この島に辿り着いた。
久保 周南市にある徳山大学でやっているサッカースクールに呼んでもらってて、地域貢献活動をしている会社の社長さんと知り合った。
その会社が野菜をつくったり、塩つくったりしていて、そこにいた新井章吾さんという海藻の研究者(海藻研究所所長)に酒飲みながら話を聞いたら面白くて、こっちに来ようと思ったんです。
https://news.livedoor.com/article/detail/16807412/ 元サッカー日本代表FWのドラゴンこと久保竜彦さんと待ち合わせたのは、山口県・光駅。ここでインタビューをして、本土の対岸にある牛島に船で一緒に渡ることになっていた。
が、現れたのは、奥様ひとり。
聞けば、午前の便で先に島に渡ってしまったのだという。肩すかしをくらった取材陣は、午後の便でドラゴンを追った。
夜、本土に戻ってから、久保さんの友人がシェフを務めるイタリアンレストランで食事することになった。
店に着くと、久保さんは、自ら、サーバーからビールをつぎながら飲み、私たちにも提供してくれる。
そして数時間、何も言葉を残さずふらっと店を出て行ったドラゴンは、そのまま戻ってくることはなかった。
https://bunshun.jp/articles/-/12656 トラックの運転手やっても長続きしなかったろうなあ。
広島から引っ越してきたのは、去年の6月。ちょうど1年ですね。いまは、大潮のときの塩づくりと山の中での野菜づくりを手伝ってます。
塩づくりでは、火の番が多いね。前は泊まり込みでもやってたけど、いまは、対岸の室積から船で通っている。
サンフレッチェ広島、横浜F・マリノスなどで活躍した久保さんは、日本代表にも招集され、32試合で11得点をあげている。
高い身体能力を生かした個性的なプレーで強い印象を残すとともに、日本代表への参加を拒否したり、記者会見でのぶっきらぼうな応対をするなど、ピッチ外でも何かと話題を呼んだ。
そんな“自由人”久保さんは、引退後、自分が最もしっくりとくる場所を探し続けていたのだろう。
良き隣人がいて、人に縛られることなく、時間からも解放された心地良い場所である。
「自分が旨いと思ったのは、7月、8月の塩」
ーー塩づくりを1年やってみて発見はありましたか。
久保 いつも大潮のときに海から汲んでくるんだけど、普段の海のときより旨いんすよね、不思議と。大潮は、月に8日ぐらいあるんですけど、味が違うんです。
で、同じ1年でも塩の味は微妙に変わる。自分が旨いと思ったのは、7月、8月の塩ですね。
ーー食に対する認識が変わってきたのでしょうか?
久保 断食のあと、たとえば、豚肉を食べて、旨えと思って養豚場を見に行くと、そういう豚は、
元気な顔しとるし、ウンコも臭くなかった。そういうもんかなあとというのがありました。やっぱ、元気な豚を食いたいしね。
有機がいいとか無農薬がいいとかいう知識も多少はあったんです。
小さい頃、ばあちゃんが自分たちの食べるものには農薬を使わず、
でも市場に出すのは、やっぱり綺麗にせないけんと言って、クスリを撒いてた。
そのときも、虫に食われているほうが旨いな、味があるな、と俺は思っていた。
いま、畑には、新井さんが海藻を干したものを肥料として入れていて、草もぼうぼうなんだけど、その野菜を食ったら旨い、味がある。なんか面白いなと思って。
いまはますます、旨いものを口に入れたいというのはあるし、旨いもんがないんやったら、腹へってたほうがいいわ、という感じはあります。
酒だけでいいや、みたいな(笑)。
「いまはまだ、自分が何をやりたいのかが見えていない」
ーー今後、どんなふうに食に関わっていきますか?
久保 これから、ここで鶏を育てるのか、何をするのか、まだわからない。自分の好きな人たちがやっているから面白いし、みんな、なんかぽろっといいこと言うし、勉強になることを言うし、だけ、一緒におるということです。
漁師の人もよくしてくれるんですよ。船はいつでも使える、と言ってくれている。
船を壊すのは金がかかるから、壊すよりは譲ったほうがいいし、住民票を移せば漁業権もすぐやけんって。
まずは、一緒に漁に出たりしながら、ということになるのかもしれないですね。
本文にもあるけど晩年は度重なるケガでコンディションがボロボロだったし
そもそもサッカーの下部リーグって全体の技術や戦術のレベルが低い分
どうしても走れる・競れる選手の方が使い勝手が良くなる傾向があるからね
広島から引っ越してきたのは、去年の6月。ちょうど1年ですね。いまは、大潮のときの塩づくりと山の中での野菜づくりを手伝ってます。
塩づくりでは、火の番が多いね。前は泊まり込みでもやってたけど、いまは、対岸の室積から船で通っている。
サンフレッチェ広島、横浜F・マリノスなどで活躍した久保さんは、日本代表にも招集され、32試合で11得点をあげている。
高い身体能力を生かした個性的なプレーで強い印象を残すとともに、日本代表への参加を拒否したり、記者会見でのぶっきらぼうな応対をするなど、ピッチ外でも何かと話題を呼んだ。
そんな“自由人”久保さんは、引退後、自分が最もしっくりとくる場所を探し続けていたのだろう。良き隣人がいて、人に縛られることなく、時間からも解放された心地良い場所である。
「自分が旨いと思ったのは、7月、8月の塩」
ーー塩づくりを1年やってみて発見はありましたか。
久保 いつも大潮のときに海から汲んでくるんだけど、普段の海のときより旨いんすよね、不思議と。
大潮は、月に8日ぐらいあるんですけど、味が違うんです。で、同じ1年でも塩の味は微妙に変わる。自分が旨いと思ったのは、7月、8月の塩ですね。
ーー食に対する認識が変わってきたのでしょうか?
久保 断食のあと、たとえば、豚肉を食べて、旨えと思って養豚場を見に行くと、そういう豚は、元気な顔しとるし、ウンコも臭くなかった。
そういうもんかなあとというのがありました。やっぱ、元気な豚を食いたいしね。
有機がいいとか無農薬がいいとかいう知識も多少はあったんです。
小さい頃、ばあちゃんが自分たちの食べるものには農薬を使わず、でも市場に出すのは、やっぱり綺麗にせないけんと言って、クスリを撒いてた。
そのときも、虫に食われているほうが旨いな、味があるな、と俺は思っていた。
いま、畑には、新井さんが海藻を干したものを肥料として入れていて、草もぼうぼうなんだけど、その野菜を食ったら旨い、味がある。なんか面白いなと思って。
いまはますます、旨いものを口に入れたいというのはあるし、旨いもんがないんやったら、腹へってたほうがいいわ、という感じはあります。酒だけでいいや、みたいな(笑)。
久保って名字で日本代表になった選手は多数いるけどW杯に出た選手はいない
豆な
>桑原裕義さんや大木勉さんたちと一緒にプレーできるとなって、なんか面白そうやな、とまた始めたんです。
長年来のサンフレッチェサポなら久保のこの気もちはよく分かると思う
勉さんは地元の愛媛で引退した後中古車販売の仕事をしてたが、この時現役復帰してたんだっけな
「いまはまだ、自分が何をやりたいのかが見えていない」
ーー今後、どんなふうに食に関わっていきますか?
久保 これから、ここで鶏を育てるのか、何をするのか、まだわからない。
自分の好きな人たちがやっているから面白いし、みんな、なんかぽろっといいこと言うし、勉強になることを言うし、だけ、一緒におるということです。
漁師の人もよくしてくれるんですよ。船はいつでも使える、と言ってくれている。船を壊すのは金がかかるから、壊すよりは譲ったほうがいいし、住民票を移せば漁業権もすぐやけんって。
まずは、一緒に漁に出たりしながら、ということになるのかもしれないですね。
もう、漁船にも乗っけてもらってます。無茶釣れる場所に案内してくれて。
誰にも教えねえ、って場所で、脂ののったハマチの子のヤズを釣りましたね。ただ、いまはまだ、本当に自分が何をやりたいのかが、見えていない。
でも、この気持ちいい場所で暮らしていれば、そのうち、自分の中で本当にやりたいことが出てくると思ってます。
朝は5時起き、畑に出て、塩を見て……
ーーいま、室積での久保さんの1日は、どんな感じなのでしょう?
久保 朝は5時に起きて、湾を見ながら、なんかおらんかなあって歩いて、釣りをしている人がおったら話して。自分も7時半ぐらいまで釣りをやったり
。で、そのあと、1時間半ぐらい山に走りに行って、気持ちよくなったら、戻ってきてメシ食って。走ると気持ちよくなるし、頭がすっきりするし。
で、昨日とかは、10時の船で牛島に渡って、塩釜にくべる薪割り。そのあと、畑に出て、また塩を見て、という感じですね。だいたい気分やけえ。天気みて決めている感じですね。
ここでは、アジ、メバル、イカ、カサゴ、カレイ、キスとかいろんな魚が釣れるんですけど、俺はまださばけない。
本当は、せっかく自分で釣った魚だし、調理したいけど、魚がぐちゃぐちゃになったらいやだから、まだちゃんとやってない。
包丁は自分で研いでいるんですけどね。
漁師というのも考えるんですけど、実際には、漁、難しいですからね。ま、真似事になるんですかね。
地元の市場でセリとかも見たけど、せっかく釣ったタイとかが100円で投げ売りされているのも見たし。値段がつかないこともあるし。
セリを見てからは、現実は厳しいと思いましたね。趣味でやるならいいけど。
夜、本土に戻ってから、久保さんの友人がシェフを務めるイタリアンレストランで食事することになった。
店に着くと、久保さんは、自ら、サーバーからビールをつぎながら飲み、私たちにも提供してくれる。
そして数時間、何も言葉を残さずふらっと店を出て行ったドラゴンは、そのまま戻ってくることはなかった。
いまや港町で自由きままに引退後の人生を送るドラゴン久保。
これまで歩んできた波瀾万丈のサッカー人生を、潮風吹く島で、じっくり聞いた。
大木ってサカつく04だと安永と並んで序盤の即戦力FW補強の定番だったな
ファンでもなんでもないけれど、
それでもJ1でのラストゴールとなった浦和戦のインパクトは今も忘れられない
ひょっとこの変顔パフォーマンスを含め
他のサッカー選手がこれと同じことやってたら、
意識高いだの、インチキくさいだの言われそうだけど。
久保だと、やっぱ久保だなぁ。という圧倒的説得力。
トルシエ大嫌い、合宿ではひとりメシ……元日本代表・久保竜彦が明かす「波乱万丈のサッカー人生」
分が本当にやりたいことを探して、瀬戸内海にある山口県の小さな島「牛島(うしま)」で塩づくりや野菜づくり、さらには魚釣りに明け暮れるサッカー元日本代表FW・久保竜彦さん。
いまサッカーに対してはどう考えているのだろうか。インタビュー2本目は、今まであまり語ってこなかった日本代表時代の胸のうちを明かす。(全3回の2回目/#1と#3も公開中)
◆ ◆ ◆
ーーいま、サッカーに対してどんなスタンスをとっているのでしょう?
久保 友だちから言われて、サッカースクールみたいなのに参加することはあるけど、ああじゃこうじゃと言わなきゃいけないやつは面倒臭いのでやってない。
好きなようにできて、好きな人とならやるって感じですね、サッカーは。ちゃんとしたコーチングとかは別に考えてないです。無免許だし(笑)。
ただ、子どもたちと一緒にやるのは好きやし、小学校のときが楽しかったというイメージが自分の中にも残っているけえ、やっているんかなって思う。
牛島で塩づくりをする現在の久保さん
「マラドーナみたいになりたいなと思って」
ーーそもそも久保さんがサッカーを始めたきっかけは?
久保 もともと自分は野球をやっていたんです。だけど、小3のときに指をケガしちゃって、1年ぐらいグローブをはめれんかったんです。
遊んでいるときに、小指の先を切っちゃって、先がブラーンととれかかった。
で、母ちゃんと病院に行ったら、先生から「足の指をつけたほうがいい」って言われたけど、母ちゃんがそれは絶対ダメや、手の指をつけてって言ってなんとか残したんです。
だから、いまも少し指が短い。すごく痛かったけど、泣きはしなかったですよ。
ただ、匂いだけは覚えてますね。肉の匂いというか、いまも思い出します、あ、これあんときの指の肉の匂いや、って。
ーー足の指を切って移植しなかったから、サッカーができた。
久保 そうすね。その頃、ちょうど「キャプテン翼」が始まって、あと、マラドーナを見て、マラドーナみたいになりたいなと思って、のめり込んでいったんです。
小4のときにメキシコW杯があったんだけど、友だちの家が電気屋で、録画したビデオを見に行ってたんです。
うちにはビデオデッキがなかったから。それをずっとやってるけえ、父ちゃんがビデオデッキを買ってくれて、ダビングしたビデオを見てましたね。マラドーナ特集のビデオとかは繰り返し見てました。
「どうしても生き残りたかったし、試合に出たかった」
高校を卒業した久保さんは、1995年、サンフレッチェ広島に入団する。
ーー監督やコーチとは折り合いはついたんですか。
久保 やっぱ、合う合わんはあるし、好き嫌いはあるけ。若いときはキーパーコーチと練習してましたね。
シュートを決めたかったから。どういうフォームがキーパーから見てわかりにくいのかとか、いつも居残ってシュート練習してました。
サンフレッチェの加藤(寿一)さんにああじゃこうじゃいいながら。キーパーの盲点みたいなのを知りたかったんです。一
緒に入ってクビになる選手とかいっぱいいるし、どうしても生き残りたかったし、試合に出たかったから、練習はしてました。 2回目の、トルシエが大嫌いで代表合宿ではぼっちメシしてたにワロタ
いろいろ変わってて強烈に印象に残ってるわー
いつかJリーグでドラゴンを止めるな!だっけ?やってたな
面白かった
「トルシエ監督は大嫌いだったし、チームにも馴染めなかった」
入団2年目には早くもリーグ戦22試合に出場、独特の嗅覚で得点を入れ初め、98年には32試合で12得点をあげ、レギュラーに定着。
同時にフィリップ・トルシエ監督によって日本代表に招集され、代表デビューを果たした。
ーートルシエに日本代表に呼ばれたときは、あまり積極的ではなかったんですよね。トルシエが嫌いだった?
久保 監督は大嫌いだったし、チームにも馴染めず、合宿でもひとりでメシ食ってました。
丸テーブルで食事するんだけど、早い時間に行くか、遅い時間にずらして一番遅く行くか、1年ぐらいそんなことをやっていた。
みんな小さい頃から一緒にやっているアンダー世代や井原(正巳)さんやゴン(中山雅史)さんみたいなすごい先輩たちで、
エリートで、自分だけ田舎もんというか、バカにされているよう感じがあったんです。
トルシエは、その態度とか、接し方がもう無理で……。
指導の仕方も、雰囲気も、一緒におりたくない感じでした。
顔を合わせれば、なんかふっかけてきて、細かいこと言ってきて、バカにされている感じがした。
実際、通訳のダバディは、もっとひどいことを言っているから、訳せんけどって言っていたし(笑)。
後々気づいたトルシエの考え
ただ、あの人も、わざとやってたというのもね、後々には気づくんです。力を引き出そうとして。
やっぱ、自分がプロとしてしょぼかったけえ、まあ、W杯も出られないし、本当に子どもだったというか。自分がアホやったみたいな……。
トルシエからは、サッカーやめた後に、何回か電話をもらいました。
高校の後輩がフランスのニースで料理人やっていて、そこにトルシエもよく来ていて、「元気か」みたいな感じでかけてきてくれて。
当時、取材嫌いだった理由
ーー結局、代表には馴染めなかった?
久保 1年ぐらいして、淳さん(三浦淳寛)が代表に入ってきて、同じ九州ということで、初めて声をかけてくれて、うわあ、高校サッカー選手権で見てた人だ、
すげえと思いながら、そこらへんからチームの中に入れるようになっていった。
そのあと奥大介さんも入ってきたりして。
ーー久保さんは、記者泣かせでもあって、会見やインタビューで言葉がとにかく少ない。
あれこれ質問しても、「そうっすね」の一言で片付けられたり。当時はどういう気持ちだったんですか。
久保 やっぱり、どこかで、そんなの試合を見とったらわかるやん、みたいな思いもあったし。
あと、自分は、試合の前にメシ食わず、腹を減らしてやるほうだったんです。
だから、試合のあと、一刻も早く帰りたい、メシを食いたい、ビール飲みたい(笑)、というのがありましたよね。
そんなことがないまぜになって、「どうでしたか?」って言われても、「わかっとるやろ」、みたいな対応になっていた。
言葉も持ってないですからね、勉強もしてなかったし。あと、九州の言葉がわからない、何言っとるのみたいなことを最初に言われて、面倒臭くなってた。
先輩からも、何言っとんと言われたりしてたし、方言があったから。
ジーコの上手さに「こうなるのは一生無理なんやろなー」
久保さんは、ジーコ・ジャパンでも招集され、2004年の欧州遠征では、3試合で4得点をあげた。
チェコを相手に勝負を決めた左足のゴールはいまも語り継がれている。その強さと豪快さは、世界レベルだった。
ーージーコ監督はどうでしたか。
久保 まず、本当にボールタッチが上手かったです。いままで、自分が間近で見た中では、たぶんジダンとかと同じぐらいに。
シュート練習のときとか、ジーコが壁になってくれるわけですけど、強いシュートを打っても、すぽっと止める。
ムダのない動きで、普通にさっと動く。キックもトラップも。あー、やっぱり、こうなるのは一生無理なんやろな、根本が違うんやな、と思いましたね。
練習してどうなるようなものではないというぐらい違いました。
ボールをピタッと思うところに止めて、思うところに蹴る。それだけなんですけど、すぐにわかるんです。
こいつ、ヘタだな、ズレてんな、というのは。日本人にはああいう人はいない。小野伸二が唯一近かったけど。
だから、自分の場合、トラップがズレるし、へたくそだから、なるべくダイレクトで蹴ることを意識した。
それでなんとか生き残った感じですね。無理がきく身体やったけえ、そこそこ点がとれたんやと思うけど。
本当は、ひとり、ふたりディフェンスをかわして、と思い通りやりたくて、練習してたんですけど、やっぱり無理でしたね。
ジーコ監督就任3年目の2004年には9試合の国際Aマッチに出場し、6得点をあげた久保さん。
日本代表のフォワードとして不動の地位を築き、2006年W杯ドイツ大会の出場は確実かと思われた。が、腰と膝、さらには足首の不調がブレーキをかける。
ーーどんな治療をされたんですか。
久保 膝と腰にステロイド注射をむっちゃ打ってました。注射を打つと、痛みが消えるんですよ。
それで100%でできるから、調子いいんですよ。
でも、だんだん量を増やしていかなきゃいけなくて、しかもそれが増やしても徐々に効かなくなってくるんです。たぶん気づかないだけで、身体には相当負担になっていたんだと思うけど。
>>33
全盛期のブラジルのロナウドもそんな感じだったな W杯メンバー落選を聞いて考えたこと
ーー腰痛がひどくなって、山形県高畠の断食道場に通い始めます。
久保 マリノスのフィジカルコーチに教わって、1週間の断食をときどきするようになった。身体がすっきりするんです。
酵素風呂に入ったり、酵素を飲んで、あとはひたすら、断食するわけです。
5日目ぐらいになると、立つのがやっとでクラクラしてくる。6日目ぐらいからは、息をするのが苦しくなる、息をするのにも力がいるようになる。
どうやったら息って楽にできるんやろって、ずっと考えてました。
死ぬ前ぐらいまでの、本当にギリギリのところまで行くんです。それで、毒が出る。
最後はやばかったです。ねずみ色みたいなウンコがにゅるって出るんです。
でも、そこからもう、腹も気持ちがよくて。1ヶ月ぐらいはケツ拭かなくていいんですよ。スポンとウンコが出るから。
1週間ぐらいかけて食事も戻していくんですけど、集中力は上がるし、体力はつくし、走れるようになりましたね。
俺がすっきりしている顔になってるけん、岡田(武史)監督も「なん、すっきりしとんや、俺も行くわ」って来てました。なんか、断食するといい人になりますよ。
久保さんは、ジーコ監督のもと、18試合に出場し、11得点をあげた。FWトップの成績だった。
しかし、2006年W杯ドイツ大会の直前、久保さんは、代表を外される。代わって選ばれたのは、巻誠一郎だった。
ーーW杯に行けなかったことはつらかった?
久保 最後の代表合宿を終えてすぐ山形に入って、代表発表の日まで、断食してたんです。
で、東京に帰る新幹線に乗っているときに、マリノスの広報の人から電話があって、メンバーから外れたことを知ったんです。
ああ、そうなんだとがっかりしたのと、少しホッとしたのと両方でした。
出たかったけど、やっぱり身体がゆっくりできるわ、というのもあった。
ただ、W杯中に、マリノスの紅白試合とかに出てみると、調子がよくて、もう少し前からきちんとやっときゃよかった、みたいな気持ちはありましたね。
結局ずっと、身体に波があって、だましだましやっているような感じでしたから。
ーー久保さん自身の最大の転換点、人間としての成長点のようなものはいつだったのでしょう。
久保 やっぱ、断食したときですかね。断食して考え方が変わりましたね。
それまで、自分の感覚でしか受け入れていなかったものが、メシを抜いて、ちょっと苦しくなっていろいろなものの見方が変わった。
結局、断食したのも、自分がにっちもさっちも動けんくなってからだったし。ああ、もう本当に自分はダメかな、と思うときに人間は考えるんすかね。
サンフレッチェ広島、横浜マリノス、横浜FCなどで活躍した久保さんは、ツエーゲン金沢と廿日市FCを経て、引退を決意する。39歳のときだった。
気難しいイメージしかない
チームというか他人とコミュニケーションちゃんと取れてたんか
>>26現役時代から運ちゃんにいそうな見た目だったよな 久保は脳のリミッターが外れてるって良く言われるけど医学的根拠あんの?
まぁそんなプレーはしてたけどw
トルシエって選手に対してはずっと挑発的な言葉を吐き続けてたから
彼のことを好意的に受け止めてる選手なんてほとんどいないんじゃ?
特にドラゴンや俊さんみたいに辛い時は内にこもるタイプだとなおさら
>>54
浅田真央は将来自給自足で鹿を狩って生活するんだっけ スレタイ見て一瞬久保建英が通用しなかったのかと思ってドキッとしたじゃないか
アスリーツの現役は短いからな
ピーク過ぎるとほんのわずかな差で若いのに勝てなくなる
そこでお終い
パンピーからすればそれでも化け物クラスなんだがな
>>67
小野はトルシエが一番よかったって言ってなかったっけ >>42
大久保、中久保、小久保
と大中小揃ってる名字は○久保だけ
これ豆な 通訳:藤本主税って書かれてないけどこんな喋るやつになったんか
ロナウドとオーウェンは精神より肉体のリミッターが耐えられなかったな
>>74
大谷、中谷、小谷?いっぱいあるんじゃない? 一番仲良かった奥大介がああなって辛かったろうな
でも今は久保らしい野生的ないいセカンドライフ過ごしててよかったわ
そういや娘もサッカーやってて期待されてたような
この世代は日本も世界も
豊作やろ
中田ロナウド世代
この世代は日本も世界も
豊作やろ
中田ロナウド世代
美化されてるが久保は年間16点が限界だったり、試合毎にムラっ気あるのが難点で、意外にポストも苦手で、よく試合中消えたりもしてたからね
高原や柳沢のが総合的には上なんだろうけど、強豪国とやるには久保の身体能力が物を言う感じだったな
ドラゴン久保プレーが滅茶苦茶で
本当最高だったけどなー
あの時代のチェコ代表は
今で例えるならベルギーのような突然変異的なタレント揃いだったな
なんか凄い遠回りしてきたような感じがするね
そういう性格なんやろうけど
久保は風貌に似合わない理論派
ダイナミックなゴールも相手のタイミングを外すためのもの
>>83
かなり性格違った感じだったけど仲良かったってのは変人同士でかな? 厚別で後藤の髪を鷲掴みにしたのは絶対許せない
出てくるな消えろクズが
久保が怪我に強かったら、本当にすごい成績残してたんだろうなあ。
まあ、あの柔軟な足首は脆さと表裏一体だったんだけどさ
>>78
ロナウドは幼少期に貧乏で栄養足りなくて、ケガしやすい体質だったそうだ
あのスピードやパワーに、そもそもケガしやすい身体じゃなぁ >>81
綺麗な海で釣りするのが幸せなんだろ
そんな生活は憧れる >>89
記録より記憶に残るというかね
日本代表に欠けてたものを持ってるプレイヤーだった >>103
夢見すぎ
サッカーを真面目にやる気もない身体能力頼みの凡選手 芸スポ開いたらドラゴンのスレの下に久保健英のスレが続いてて
なんか新旧久保が並んでて胸熱だったのでカキコ
>>105
福岡の人間なんだがな
福岡に戻れば都会と自然を同時に味わえるのに 日本のサッカー選手で誰が一番超常的だったかと問われれば
躊躇せずこの人の名前を挙げるね
>>74
大森、中森、小森
大沢、中沢、小沢
大原、中原、小原…いっぱいあるやん 久保と玉田のドラゴンボールコンビ、W杯でも見たかったな
なりふり構わない動きしたあとのバランスの取り方がうまいんだよな
しかもインパクトの瞬間以外ムダな力がいっさい入ってない
>>93
共産圏解体とかスロバキア独立とかゴタゴタあって金のかかるホッケーが出来なくてサッカーになだれこんだ世代なんでは? >>113
スパイクはき続けているから裸足競技の連中に比べるとね…あと足先を使うから緩めを履くわけにもいかんだろうし >>73
そりゃあ小野にとっては大怪我したけどトルシエ時代が一番恵まれていたからね。 >>104
ステロイドで作りあげた肉体に筋肉以外の部分が耐えられなかっただけだぞ、ワンダーキッドから2,3年ほどでワンダーオヤジに変貌を遂げた方の人もな。 >>29
今の思いつきの生活についていける奥さんも
なかなかいないだろうしね 失礼だけど久保に奥さんと子供がいるってのが今でも不思議に感じるわ
>>1
こうやって見たら久保は日本人によくいる絶壁では無いんだな
後頭部が結構長い
顔も小さめだし外人っぽい この久保は時代が悪かったな才能なら日本のFWでも歴代最高だったのに
今だったらバルサレアルに行ってもおかしくない
>>141
日本歴代最高程度のFWでレアルバルサってw 久保には奥さんと奥さんとその奥さんが必要だったのだよ
奥さんがいたからサッカーやれたんだよな
足指のホネに問題ある奴がプロサッカー選手になって活躍できるのかよ
中田みたいな旅人とは別の人生観なんだろうな
かっこよすぎるわこの人
代表の頃の雑誌のインタビューで引退後は野菜農家になるって言ってたな
記者が小笠原も引退したら大船渡で漁師になるかもって言ってましたよ、って教えたら、
じゃあ俺は野菜送るけえ、魚送ってって言っておいて下さいとか書いてたな
>>1
仙人みたいな暮らしをしてんなドラゴンwww 久保というレフティーは夢を見させるのが使命なんだな
>>1
文面からものすごい宇佐美のコブダイのテンプレ臭がする >>74
大畑、中畑、小畑 … いっぱいあるだろ。 >>1
> 父ちゃんに野球選手になりたいと言ったときも、ケツちっちゃい、アゴちっちゃい、お前は絶対に無理だって言われたから。
ケツちっちゃいアゴちっちゃいから野球選手は無理の理由がわからん
イチローは?
結果的に久保竜はプロサッカー選手になったからいいが、こうやって無理無理言われて潰された人材って昔はたくさんいただろうな >>148
日本人離れした身体能力というか
身体能力でゴリ押すアフリカFWみたいな感じだったな ちゃんと育成されてればな…
生まれてくるのが早すぎた
こいつと高原は勿体なかった
早めに欧州に行ければ化けてた可能性がある
>>158
あれで節制してりゃあな。身体壊してから節制しても遅いのよ >>163
高原は欧州で活躍した方だと思うぞ。高原も沖縄で似たような生活してたような。 >>165
ハンブルガー時代に連続無失点記録を継続中だったカーンからゴールを決めたりしてたな
その後のフランクフルトではブンデスでは日本人初のハットトリックを達成 広島駅の階段で一升瓶抱えながら泥酔して寝てるのを奥さんが迎えにいってたんだっけ?
現代アスリートのトップみたいに節制できてたらどうなってたか
まぁそんなの久保じゃないけど
腰痛が酷くて本屋で健康雑誌漁ってたら
ゆほびかという健康誌に久保が出てるのを見つけたときの衝撃
1にもある足の指が使えてないから腰痛が云々の話をしてた
まあ元気そうでなにより
>>29
自己管理全然出来ないから結婚してやってくれって広島時代のコーチかなんかが
当時付き合ってた今の奥さんに頼みに行ったんだよね >>149
そういや引退後にイベントに登場した久保が今も仲良い選手に中田浩二と小笠原と答えてた
酔っ払った時もあいつらは良い奴じゃと久保は言うくらい彼らは好きらしい
広島やマリノスなど古巣の選手ではなくて鹿島の選手なのが意外だったw >>12
うらやま!
あの試合がサッカー観戦好きになるきっかけだったわ
楢崎のスーパーセーブもすごかった 幼少時から現代の体幹トレーニング等を施せていたら…キングギドラくらになったのだろうか?
それとも、そんなものは最早ドラゴンではないのだろうか?
いずれにせよ、ドラゴン久保の上位互換には御目にかかれていない
一瞬の身体能力だけは世界クラスという。
しかい、若い頃から怪我ばかりのイメージだな。
好きなことやってそれだけで死ぬまで暮らせんだからいい人生だよな。
横浜時代の給金なら死ぬまで自給自足だけで暮らせるだろ
>>152
野球選手と同姓同名なのは右利きだったような >>97
クライファートってウイングでかなりチビじゃなかったっけ 意外と引退後はトルシエと良い関係なんだな
久保の記事は面白いから鈴木隆行との対談して欲しいな
代表でもあまり組んでるの見たこと無いが
ストヤノフ、久保がいて、岩政辺りが帰って来たら山口にいてもなんだかんだ暇しなさそうだなw
>>93
ネドビェド
ロシツリー
コラー
とか居た時だもんな
チェコは後半に確か選手全員変えたけど
絶対負けた時の言い訳にする為だろと思った >>175
それ息子じゃね?
ここで言われてるのは父親の方
父は188ある >>157
顎=好き嫌いが激しいorあまり咀嚼しない?ケツ=骨盤が前傾していない。か?尚イチローは親不知四本ありなんで骨格的にはデカイというか伸びしろあり。というか… >>157
噛み合わせが悪いと
パワーを使い切れないし
身体に歪みが出て怪我しやすくなる
久保は歯がガタガタで苦労したので
娘さんには早くから硬いセンベイとか
歯の矯正してやってるらしい
そのおかげもあるのか次女はテニスで
かなり有望な選手になった >>33
単純に体がひ弱なんだろう、久保は自分の能力に耐えうる筋トレをしなかったからパンクした アフリカ人みたいなプレーだったもんな
日本人としてみたら異次元
今いる武蔵やオナイウよりはるかにアフリカンしてたな、久保は
こいつが蹴ったボールは何故か小さく、硬く見えたけど、それは低い弾道で強いボールを
蹴られる選手が日本では少ないからなんだろうな
言われてみるとあのムラっ気はアフリカ人みたいだった
>>181
マリノス時代の、奥からのセンタリングをノートラップボレーが好き。トラップがめんどくさいってやつ。 久保の言葉は本物のインタビューなのか名作コピペなのかよく分からないほど完成度高いなw
>>97
久保が簡単なのをしょっちゅう外してたイメージは無いでw >>167
サッカー選手というより戦後のプロ野球選手みたい
あぶさんに出てくるような >>55
ジダンレベルのジーコに唯一近かったのが小野か
ドラゴンの目から見ても小野伸二ってのはやっぱ凄かったんやな 仲の良かった奥はパチンコ狂いだったしな
二人そろってコンディションを維持できないで沈んでったのは悲しいものがあった
この人と小笠原は無口そうに見えてよく喋るキャラだった
>>199
久保小野コンビは最強だったよな
センスの塊 >>203
小笠原はサッカーのプレーに関して直接他の選手やコーチに話す時とイタズラする時以外はあまり喋らない方だったし
喋るの苦手だってことを公言もしてたし無理に喋らせるのも嫌がってた
東北の震災で人が変わった 室積にいて漁師と見分けつかん久保といい
徳山にいてレストラン経営のストヤノフといい
引退した大物選手を流れ着かせる力があの辺にはあるんか
小野の変態パスからの久保の変態ゴール
リミッターを外して体を動かしちゃう感じなんだろうな
ひょっとしたら野球のほうが大成したかもな
代打専門とかあってそう
お前らはなぜか怪我した選手の評価は高いからドラゴン久保は伝説的な選手になってるw
実際は高原以下なのに
>>207
これ小野は右サイドのやつにパス出したのが敵に当たって久保の足元に転がっただけだぞ >>210
右サイドの奴全然違うところにいるじゃん >>211
何言ってんだお前は
右サイドの人が裏抜けしてんだろ
そこ狙ったパスが相手DFの頭に当たってはっきりコースが変わってるのが見えんだろ >>162
家族ぐるみの付き合いだったらしいね
奥の奥さんに久保から「○○ちゃん(久保の娘)にアイス買ったよー」だけの
謎の電話がかかってきたっていうエピソードが好き スーパーゴール決めてひょっとこパフォーマンスやったのを見たのが最後の記憶
結局あの1ゴールだけでその年にクビになったよな
小野と久保は相性が良い
>>220
久保くんてこういう敵から逃げて味方の手前で優しくブレーキかかるパス出せるかな >>219
バウンドするまではボールの軌道的にキーパーもイケると感じて飛び出してくるんだけど
ボールにめっちゃアウト回転かかっててバウンドした瞬間にボールが外に逃げて行くんだよな
結果キーパーは触れなくてゴールはガラ空き
これをワンステップで咄嗟にやっちゃうんだから小野は天才だわ
小野のパスを感じてる久保も流石 アイスランド相手でホルホルしてる小野信者に草生える
ブンデスレベルになると宇佐美以下の実績で終わったのにw
久保と小野は相性いいよな、どちらもロマン枠だったし
久保のひょっとこゴールも目の前のディフェンスが小野だったりする
俊輔久保は北チョン戦のコロコロしかイメージないなw
>>228
長女も次女も辞めた
次女はテニスで有望 >>12
あのゴールはすごかったw一瞬でゴールネットだったんじゃ